巡礼 会津若松Ⅰ
秋雨の降るこの日早朝、銃声の近づく中で、城の鐘が激しく打ち鳴らされると、籠城戦を戦うべく、藩士やその家族は城に急いだ。しかし病弱な者や婦女子の中には、足手纏になってはと、屋敷に残り自刃した者も少なくなかった。
城の大手門の前にある家老西郷頼母の屋敷では、頼母の母が、頼母とその10歳の長子吉十郎を城に送り出し、また使用人たちを言い聞かせて去らせた後、頼母の妻や妹、娘たちを集め、自刃した。自刃した者は次の通りである。
母 律 58歳
妻 千重 34〃
妹 眉寿(みす) 26〃
〃 由布 23〃
長女 細布(たへ)16〃
二女 瀑布(たき)13〃
三女 田鶴(たづ)9〃
四女 常磐(とわ)4〃
五女 季(すえ)2〃
他に、頼母の一族の者12名もこれに連なり、この日この屋敷での自刃者は21名を数えた。
明田鉄男編『幕末維新全殉難者名鑑』は、この日城下では頼母の一族の他に次のように多くの自刃者があったとしている。死の作法については、女性の場合は自刃の他に自害と記され、また幼い者については、「家族と死」、「母たちと死」、などと記されているが、中には「母の手で刺殺」と書かれているものもある。
ここでは、紙数の関係があり、家族については名前を記さなかった。一族ごとに、そこに墓碑があるかのように丁寧に読み進めていただけるとありがたい。