ドイツを代表する人物

ドイツほどの精神集中の強い人物がいる国には、歴史上でも、キラ星の如く、大物がいる。その中からしぼって四人物に代表させて、簡単な紹介を行う。

M・ルター(一四八三~一五四六)

ローマバチカンを法王の常位とする土地を、キリスト教カトリックは、一五世紀前紀前半になると、人間の業というべき腐敗が進行して、変革運動がフスやウィックリフにより始まっていたが、金銭に両替できる手形により、犯罪を取り消し得るという、免罪符(犯罪を金で買い取る証明書)により遂にM・ルターにより「九十五カ条の提題」が現実の運動となった。神への全面的信仰によってのみ、人は罪の絆から解放される。

また聖書のみが、その中心をなすという明解な「プロテスタント」派を主眼として、法王の権威を否定して、聖職者の独身制、修道院制度を廃止し、ミサの代わりに聖餐としてワインとパンのみを認めた。当然のように宗教改革戦争が起きたが、ドイツ、北欧を中心に新教徒を増加させた。

I・カント(一七二四~一八〇四)

ドイツ東北部のケーニヒスべルク(現在はロシア領でカリーニングラードと改名)に生まれ、当地の大学を卒業し、他の地には一度も住居を替えなかった。結婚は一度もしない。他の地にもない。歩く範囲は正確な時刻に、自宅と大学の間のみをテリトリーとし時計代わりと重宝がられた。ドイツ観念哲学の起点とされる。

カントの哲学は日本でも名古屋の八高など旧制高校で、教えられた。最も難解とされた、「純粋理性批判」が出版され、彼の哲学の第一歩を記した。哲学とは、その人の人生観とか諸々の学問の一つというものでなく、人間の知識欲に根ざす根源的活動の一つである。自分はなぜここに居て、どこから来て、どこへ行くなどというところからはじまるが、大古より「神」の問題、現代では「科学」の問題が、哲学的思考の中心になりつつある。カントは西欧人類が「神」から「科学」へと移行する、人間に神と専制君主が非難され「自由」が求められる西欧人にとって、ある不安をもった時代に生きた。

自然科学の発達が人間の宇宙観を変えつつある。今のコロナと同じような大変化が起こりつつある。カントはコペルニクス的転回という名を与えるような大変化に対応せねばならぬ時代であった。頭だけで純粋理性批判を述べても、そこには不安が残るのみだった。カントは転回して実践せねばならぬと気づいた。

彼がどうしても必要としていたのは「自由」だからだった。無神論をいくら述べても、人と人との「幸福」を得るのには、「道徳」というキーワードが必要だった。自由→道徳→幸福。これがカントの転回で妥協で自由概念であった。少し大まかな紹介になったがカントの「妥協」は私にとって嬉しいことである。