僕の俳号は、市島南斎
「僕の俳号は、市島南斎にする。僕が住んでいるのは葛飾の南の方だし、葛飾といえば葛飾北斎だから、その北斎の北を南に変えてみた。
俳句は、
六度目の 年男なり 秋の雨
市島南斎
今年七十二歳の年男になったことを詠んでみたんだけど、どうだろう」
「南斎とはこれまた古風な俳号だね。俳号によって別人格になって俳句を楽しめばよいのだから、ゴルフ狂の市島がこうした江戸時代の人みたいな名前になったのもいいかも。
俳句の方だけれど、下五の『秋の雨』が問題じゃないかな。南斎に聞きたいのだけど、君は『何歳? (南斎の掛け言葉)』と尋ねられて、六度目の年男と答えているが、七十二歳になったことを、君はどう感じているの? まだまだ元気だぞと意気軒高ならば、六度目の年男なり空高しだし、悲しんでいるのなら、六度目の年男なり冬木立となるだろう。
すなわち下五の季語で君の気持ちを表すのだが、『秋の雨』は紅葉を散らす雨で、寂しさの中に紅葉の色の鮮やかさも混じっているので、君の気持ちがはっきりわからない。季語は俳人の思いを醸し出す言葉だけに、慎重に選択するようにしよう。
先輩ぶって、偉そうにいろいろ難癖つけてしまったけど。これで俳句が嫌になったら、やめてもいいからね。それにしても、三人とも性格は一癖も二癖もあるのに、俳句は割と素直なんだね。ちょっと驚いたよ」
私がそう言うと、三人がいっせいに水の入ったコップを持ち上げ、私にぶっかける素振りをした。それでも三人は口を揃えて言った。
「松岡のコメント、参考になったよ。初心者が最初からうまい俳句は作れないということを実感したよ。俳句は簡単そうに見えてそうではないという、松岡が俳句のリアルという意味はこれだったのだね」
だが、その殊勝な態度から一変して、中澤が言った。
「松岡、おおよそ俳句の何たるかについて少しわかったような気がする。さあ、これから『実践編』だぜ。君の俳句の作り方の秘密があるはずだ。それを明かせよ」
「俳句作りの秘密なんてないさ。まだ始めて二年弱にしかならない初心者に、そんなことを聞くなよ」
「俺たちは、俳句経験ゼロだ。松岡には曲がりなりにも二年の経験がある。麻雀は後輩だが、少なくとも俳句では先輩だろ。俺たちはこの際、体育会系を脱皮して、どうしても俳句をやって華麗に文化系へと変身したいんだ。ほら、こうして頭下げて頼んでいる」
私は彼らの並外れた情熱に負けて、仕方なくこれまでの数多い失敗から学んだ私なりの俳句作りを話すことにした。既に俳句をなさっている方には、とても青臭くて、鼻持ちならぬ内容かも知れない。
それでも日頃考えていることを、初めて口にしてみようと思ったのは、この三人なら気軽に話せるし、私の俳句観への反応を知るのによい機会だと考えたからだ。とはいえとうてい秘密といった代物ではなく、ごくオーソドックスな作句法だ。