箱根湯本の喫茶店 二日目午後

私たちは、十一時過ぎに宿の送迎バスに乗って箱根湯本へ向かった。半年ぶりに会った四人なので、そのまま別れるのがもったい無くて、箱根湯本で昼に寿司を食べ、喫茶店で時間をつぶし夕方新宿に戻ることにした。

四人とも毎日が日曜日の人種で、家で首を長くして帰りを待っていてくれる人とていない。温泉街らしい小じゃれた喫茶店の窓際の席に腰を下ろし、各自飲み物の注文を終えた。

「さて、俳号と処女作はできたの?」

私は昨日今日、三人に俳句に関して押しまくられてばかりだったので、この時とばかり、肩をそらして言った。

「じゃあ、俺からやるぞ。俳号は中澤(こう)(うん)。俺は百姓をやっていて、毎日小型耕運機の世話になっている。耕運機から機を外して耕運とした。畑を『耕』し、成った物を畑から『運』ぶ日々だから。

わが処女作は

我が畑の甘い蜜柑(みかん)を直売す   中澤耕運

我が家の蜜柑の木はおやじが植えたのだが、順調に育って甘い実をつける。今年はやや小粒だったが豊作だった。家族で食べる分を残して、家の門の側に設けている野菜の直売所で売ることにしたんだ」

「耕運という俳号は良いと思うよ。君の仕事を表しているし、読み方も幸運と同じで縁起がいいじゃないか。俳句の方だが、単なる報告の句で詩情に乏しい。読んだ人からは、『ああそうですか』という冷めた反応がくるだけだろうね。蜜柑はどのようにして売るの、直売所で」

「一つの蜜柑を四分の一くらいに割って、お客に試食してもらうよ」

「そうだろうね。普通そうするよね。それを俳句に詠んだらどうだろうか。例えば、甘き蜜柑割って手渡す試食用という風に、耕運が自家の蜜柑の甘さに自信をもってお客に薦めている様子を表現してはどうだろうか。私は普通、歴史的仮名遣いで俳句を作るので、文語で『甘き蜜柑』と表記する。

もっと推敲が必要かも知れないが、少なくとも内容が報告だけの句よりもましだと思う。せっかく俳句を作るのだから、句の中に君の姿をはっきり見せれば、生き生きとした君らしい俳句になると思う。農作物の栽培という、自然の移り変わりがすぐ傍にあって、句材が豊富なのがうらやましいよ」