わかば学級と「大きなかぶ」

閉会式を終えて、「わかば」の教室に帰ってきた私は、生徒たちに、今日の劇のことをどんなふうに評価してあげようか迷っていた。しかし、教室にいた「わかば」の生徒たちは、「先生、やったね」「先生、やったね」と興奮冷めやらぬようすではしゃいでいる。

「ほかのクラスの人があんなに手伝ってくれたんだよ。先生、やったね。成功だよね」

生徒たちは、みんなニコニコしながら、私の周りに集まって来た。私は表情を、苦笑いから、完全な笑顔に変えた。

「そうとも、やったね。大成功さ。すばらしい演技だったよ。みんなは本当にすばらしいよ」

私は、自分の言葉に、自分自身で納得していた。

わかば学級リレーの思い出

私は、特別支援学級「わかば学級」の担任をその後も五年間続けた。毎年、体育祭で、わかば学級の生徒はそれぞれの交流学級のクラスの生徒として、種目を選んで参加していた。

しかしある年、わかばの生徒たちが、「『わかば』としてみんなで走りたい」という意見を出してきた。その年のわかば学級の生徒数は、わかば一組とわかば二組を加えて合計十名。他のクラスの全員リレーと競い合うことは人数的にできない。そこで考え出したアイディアが、「部活動対抗リレーで一緒に走ろう」ということだった。

部活動対抗リレーは、それぞれの部活動の代表八名が男女の部に分かれて競い合う競技だ。その女子の部の中に、わかば学級も参加させてもらおうという考えだった。このアイディアは女子の運動部の部員たちに、微妙な問題を提示した。

その中学校の部活動対抗リレーは、毎年、各選手が本気になって走る。バトンこそ各部活動で用いているラケットだったりボールだったりさまざまだが、決して遊び半分の競技ではない。その中でわかば学級が走ると、当然のことながら、わかば学級はトラックを一周遅れ、二周遅れになってしまう。

その年のわかば学級には、脚の不自由な女の子が一名。走り出すとまっすぐには走れない子が二名、その他の子も、通常学級の生徒のように速く走ることはできない。八名のコースを十名で走るのだが、どう考えても、最後は、わかば学級だけが走っている姿を見せることになる。