自由都市名乗るブレーメン

前もって日本で航空運賃(一人往復二一万円)とジャーマンレールパス(ドイツ国鉄十日間乗り放題で二人分四万七〇〇〇円)、ホテル代(二人分ブレーメン八〇〇〇円、ハンブルク二万四〇〇〇円)を前払いしておいた。

八月十日中部国際空港を発ち、直行で着いたフランクフルト空港は前章で述べたように迷路の空港で三十分くらいうろうろして、やっと国内便に乗り継ぎブレーメンに着いたのは午後五時二十五分だった。ホテルは中央駅前でシャワーのみバスなしであった(今回はケチケチ旅行で以下全部同じ)。夕食は賑やかなラートハウスケラー(市庁舎地下食堂)で一六ユーロで済ませた。

翌日ブレーメン見物。ここは町並みも清潔で落ち着いている。市庁舎前広場の片隅に有名な「ブレーメンの音楽隊」の像があり、ロバと犬と猫とニワトリの順で上に乗っかっている。僅か一〇〇メートル足らずの細い道だが、ベットヒャー通りは中世風で洒落ている。毎正時にグロッケンシュピールの鐘の音が鳴るのがノスタルジックである。

この通りを南西に向けるとウェザー川という水量のある川があり船着き場から遊覧船に乗った(七・五ユーロ)。この川こそブレーメンを五〇キロ北方の北海と結びつけ、この街をハンザ同盟の雄として今でも自由都市ブレーメンを名乗る根源である。

ハンザ同盟は中世に従来のバイキング時代の無秩序を正し、バルト海、北海沿岸の自由港湾都市が相互の利益のために提携して結んだ特権や税をつかさどる都市同盟で、最盛期には西はライン河口、東はエストニアまで包括し、デンマークと戦い征服した。一七世紀まで続いたが今日でも自由都市を冠しているのはリューベック、ハンブルク、ケルン、そしてブレーメンだけである。

川面の涼風の中で目をこらすと遠方に白い鉄製の大きな風車が回っているのがいくつか見える。これは北ドイツ平原に最近多くなった風力発電機でありドイツの脱石油政策の象徴である。