【前回記事を読む】国家が歴史から葬り去ったはずの事件が、何の権力も持たない者達の手によって白日の下に晒され、国家の中枢が崩壊した!?
〈二人の現在地――土橋直哉〉
「集中力だけは一流作家なんだよ」
彼はそう言うと、いたずらっ子のように笑った。その笑い方は、昔から変わっていなかった。笑い顔だけが彼の人生のあらゆる影響から逃れたかのように。
「それだけで良いんだよ。最新の研究論文に、才能とは、物事に対する集中力の質と時間の使い方のことだって書いてあったよ。……ところで、今はどんなの書いてるの?」
彼が頭を少し前に傾け、考える表情を見せる。影の位置が変わり、光の濃淡が違う印象を見せる。
「人の肖像画を描くと、その人間が無意識で考えていることが分かってしまう画家が、ある時、自分の肖像画を描き、自身の内面の混沌や悪意に人生が翻弄されていく話だ」
榎本君はそう即答し、誇らしげな表情を浮かべる。
光の濃淡の微かな変化を、僕の中の無意識が少し前から察知していたことを僕の意識が遅れて気付く。僕という意識は無意識のその動きに抗えない。
「君さ、売れる気ないだろ? 暗いんだよ。題材が」
僕は笑いながらそう言い、笑った後すぐ、そのことをなぜか後悔した。
持て余した気持ちを取り繕うためにコーヒーを口にする。
少し熱さの後に強い苦みが舌全体に広がり、濃く作り過ぎたと思った。でも、その苦みが今は少しありがたかった。
「これでも媚びてるつもりなんだけどな」
「嘘つくな」
僕が笑うと、彼もつられて笑った。
「俺は、退廃的な姿にこそ人間の本質や美しさがあると思ってんだよ」
僕は肯定を示すように小さく頷く。
「影の存在がないと光の明るさが目立たないように、影を追わないと本当の光は書けないんだよ」
「確かにね。……って全然媚びる気ないだろ?」
僕が笑ってそう言うと彼も清々しく笑った。
昔のことを思い出し、こうやって笑い合えていることが何かの奇跡のように感じた。
同時に、僕の今の内面と違って、彼の心が安らかであることを小さく願った。