仙台藩三

一方で高橋は、「玉蔵なる者の犯罪も畢竟は主人意広の平素の掟よろしからざるためなれば、意広また決して罪をまぬがれざる故左様心得よ」といよいよ熱り立っていた。仙台藩では、一門の者や重臣が集まって評議し、結論はなかなか出なかったが、藩侯の身を案じて、結局、意広を切腹させるよりない、ということになった。

意広の切腹を申し出ても、総督府の参謀は「そこまでは」と言うであろうと一同期待してのことであった。しかし高橋は、申出のまま意広を切腹としてしまった。意広はこれを聞いて愕然としたが、親戚の者たちから「罪なきは明らかなるも、罪のためにあらず、藩のために」と言われ、涙に咽びながら承諾し、11月4日に切腹した。

次いで玉蔵と共に現場にいた小松亀之進を斬に処し、玉蔵については後日斬首するとして、高橋に報告した。高橋は、玉蔵の首がないので、またまた怒号した。

11月5日、玉蔵の首が高橋に差し出された。高橋はそれを以てよしとした。実際には、玉蔵を探し出すことはできなかった。差し出されたのは、柴田家の家老の首であったという。

【巡礼船岡】

船岡を訪れたのは、9月初めのよく晴れた日であった。東京駅7時12分発の新幹線「やまびこ」に乗れば、福島で東北本線に乗り換えて、9時41分には船岡駅に着く。

しかし、仙台藩の一番南の邑である船岡には仙台側から入って行こうということで、船岡を通り越して二つ仙台寄りの駅である岩沼で降りることにした。

岩沼の駅前通りを東に少し歩けばすぐに奥州街道に出る。これを左へ行けば仙台、南へ進めば船岡である。かなり歯抜け状態となった岩沼の中心街を過ぎると、やがて刈入れの近い稲田が広がる。時折遠くの木立から、弱々しい蝉の声が聞こえて来る。