アイドル乙姫の誕生

伊藤はAIの研究をしていた。AIは膨大なデータの中から最善の方法を見つけ出すが、自立して行動するまではできない。

しかし伊藤は、人の考えを具体的に自ら現実に落とし込むニューロンの原理を持った自立思考型コンピューターの開発構想をほぼ完成していた。

伊藤は堀内からの提案に、コンピューターが人間の考えたアイデアを自力で設計図に落とし込み、設計できるコンピューターの制作にかかった。

超大型コンピューターの中に人間の小脳と間脳に当たる思考回路を作り出しニューロンシステムを組み込み稼働させた。

そして伊藤は、人類が手にした科学技術のすべてをこのコンピューターに覚えさせ、そして自分の脳波を読み込ませてみた。

そうしたらコンピューターが、堀内に、「基本設計だけでなくあなたの脳波を私にすべて複写してください」と、言ってきた。

堀内は脳波の読み込みなど、内心、不安と嫌悪感を抱いていた。人間の脳波をコンピューターが読み込み理解することができるのか、不安と疑問にさいなまれることになった。

そこで、脳外科医の本多のところに相談に出かけた。

本多は「堀内さん、それは面白い、私が今まで研究してきたコンピューターと人間のコラボレーションです。是非、私にもやらせてください」と、ものすごく乗り気である。

堀内はそれを聞いて、俺の頭をコンピューターの中に入れてみようと決意した。

本多は、コンピューターの開発に携わることなど今まで考えたこともなかったが、伊藤に話を聞くにつれマザーコンピューターに人間のような記憶と思考回路を作り上げ、人間の道具としてのコンピューターではないパートナーとしてのコンピューターを作ることに関心を持ったのである。

本多は、伊藤に人間としてというか、生き物としての思考の成長プロセスを教え、伊藤はそれをコンピューターに組み込んだ。

そして、伊藤は子供を育てるようにコンピューターに話しかけ、「なぜ、なぜ」とつぶやくコンピューターの質問に人間としての曖昧な回答を続けた。

この曖昧さをコンピューターが学ぶことで、人間らしい人間以上の思いやりとか何となくの気付きとか、雰囲気など理屈や計算では割りきれないひらめきの第六感を身に付けていくことになったのである。

堀内と伊藤と本多は、このコンピューターに名前を付けようということになり

堀内が「神話から取ったらどうかな、例えば『ヤマトタケル』なんて言うのはどうかな」

伊藤は「芸能人からではどうかな、『小百合ちゃん』なんて可愛いな」

本多が「お願いだ、名前は僕に決めさせてもらえないか、僕にはどうしても忘れられない子がいるんだ、その子の名前を付けさせてくれ」

堀内にも伊藤にも依存はなかった。

本多はこの自立し始めたコンピューターを「乙姫」と、名付けた。

これは、本多が脳外科医として初めて脳腫瘍の手術をした5歳の女の子の名前である。手術の前日、この女の子から、

「先生、私の頭の中のおできを上手にとってください。お願いします」と言われ、本多は、「音ちゃん大丈夫だよ、先生に任せなさい。おできを取って元気になるようにしますね」と、約束して手術した女の子の名前「音」にちなんで「乙姫」と名付けたかったのだ。

しかし、本多が手術台で見た音ちゃんのおできは想像よりも大きく、7時間にも及ぶ手術にもかかわらず、音ちゃんは手術台の上から帰ることはなかった。

本多は、音ちゃんとの約束を果たせなかったこの手術の悔しさを今でも人生の教訓としていて、手術に向かうときは、音ちゃんの写真に手を合わせる。「今日の手術が無事にできますように見守りください」と、祈ってから手術に向かう。

本多にとっての心の中の神である。