いたずらな運命~信頼とエゴの狭間で~

俺は、手紙を書くことにした。奥さんが、見るかもしれない可能性を計算してのことだった。

『あなたの存在の大きさを改めて感じました。ただのストーリーメーカーでは終わりたくないのです。大きな映画を撮るときのあなたの才能や、話の展開のさせ方、俳優たちへの気配り、温かな現場の雰囲気……。言葉だけではうまく言えませんが、あなたとまた仕事をしたい、という気持ちは切にあります。必ず、いい脚本を書きます。いつか苦しみや障害がなくなったら、連絡ください。いつまでも待っています』

というようなことを書いた。

大きな存在を失いたくない気持ちと、お互いの利益につながる仕事をしないか、というメッセージを込めた。

監督なら、応えてくれるだろう。得体の知れない通報者を、あえて教えてくれた監督なのだから。

俺は、監督の返事を待つことにした。

なかなかこないので、苛立った時期もあったが、そのうちに、それも気にならなくなった。

史上まれに見る異常気象と同時に発生した台風……。東京も被害は免れなかったが、落ち着きが戻った季節にやっと、監督から返事がきた。

たかが、個人の手紙に真摯に応えてくれる監督に感謝しなければいけないのに、俺はあれこれと言いたい気持ちを抑え切れなかった。そこで、監督の家の近くにある喫茶店で会うことにした。

「なかなか返事をもらえなかったのは、やはり奥さんが同じ状態だからですか?」

と、俺はいきなり聞いた。

監督は言った。

「同じならいいが、以前より悪いのだ」

「悪いというのは」

と、俺は聞いた。

「話すことさえ、ままならなくなった。やむなく、入院させた」

監督は、辛さをこらえて言った。

疑いなく、今は奥さんはいないことを確認して、嬉しさが湧いてきた。はかない命であるかのように思えるが、迂闊なことは言わないように心がけた。

「あなたが最高の監督であることがわかりました。お互いに、またいい仕事ができないか、考えていただけませんか?」

「映画監督といっても、今はただの介護者だ。誰とも仕事をすることはないと思う」

監督の言葉に絶望もしたが、俺はそれでも希望を捨てられなかった。

だから探していた。お互い、屈託なく会話できる言葉を。

しかし、監督は終始耐えられない、といった表情だった。

塞翁が馬だと感じた。俺も監督も良いときもあれば、悪いときもある。だから、そういうものなのだ、きっと人生は。

ただ、映画をまた撮りたい、と、思ってほしい、監督には。