『得体の知れない通報者がいなくなれば、撮る気になるだろうか』、などと考えてしまう自分がいた。恐ろしかった。
恐ろしさは、少しずつ願望となっていった。
うつ病がひどくなると、自殺する可能性がある。俺は、良いことじゃないが、そうなってほしいと願うようになったのだ。そして、それはいけないことだが、俺と監督のためになる、と思うに至った。大変なことを考えてしまう自分が恐ろしかった。
話がそれたが、監督には、また仕事をする気になったら連絡ください、と言って別れた。
いつか連絡がくるはずだ。退屈な時間が、そう思うだけで、夢見る時間になっていた。
そうして、二十日くらいたったある日、大きな出来事があった。監督が怪我をして入院したと、ニュースで見たのだ。俺は、すぐに病院に駆けつけた。
監督は、話はできるが、足を骨折していたので辛そうな表情だった。
俺は事情を聞いた。
得体の知れない通報者が退院したが、階段を下りる介助をしていて一緒に落ちたらしい。
「彼女はまた入院となった」
と、監督は言った。
俺は、
「ずっと入院させた方がいい。あなたが心配だから」
と、監督のために言った。これ以上何かあったら監督の身が心配なのと、なるべく奥さんと離れてほしいという願望からだった。もとより、彼女が良くなってほしいからではなかった。
しかし、監督は、
「ありがとう」
と、感謝いっぱいの様子で言った。
結局、監督は一か月の入院で退院できたが、奥さんはずっと入院となった。
「映画をまた撮りたい」
と、監督が連絡してきた。きなくさい世界情勢が同じ調子でニュースになっていること自体に嫌気がさしてきた、とか、しけた政治の話にうんざりした、とか言って、
「新しいことを、やっと、したくなった」
と、話した。
俺は、
「必ずいい脚本を書きます!」
と言って、嬉しさを隠さず、飛び上がって喜んだ。