6章 院内学級と地域の受け入れ体制

当時の院内学級と地域の受け入れ体制

その当時は、院内学級と特別学級ともに病気や障害を持った子供たちへの理解に欠けていたと言える。そういった子供たちの教育環境・受け皿が全くできていなかった時代だったのだろう。時代で片づけてよいものか。そういった子供たちの「教育を受ける権利」を守られる体制・環境を築こうと努めていたのかさえ疑問だった。

病気や障害を持った子供たちの将来を見据えた教育環境が改善されていればと強く願う。間違った。願うではなく“すべき”だ。“すべき”だったように、現在の院内学級の教育環境は、私の時代と大いに違い、地域差はあるが大幅に改善され入院している子供たちへの理解と共に存在しているようだ。

病院の院内学級によるとは思うが、入院している子供たちが在籍している学校と同じ教科書とプログラムで勉強を進めて行く学級もある。学級にその日行けなかった、もしくは行けない子供たちのためのベッドサイド授業もある。

それだけではなく、地元校と連絡を取り、退院後に学習できるようにサポートしてくれるのも珍しくないそうだ。時間はかかったが、入院している子供たちの「教育を受ける権利」が尊重され、このように理解と改善が実現したことを嬉しく思う。一方で、院内学級の設置には教育委員会及び学校の理解と行動だけでなく、病院側の理解と協力も必要なため、設置が難しいのも現状であるようだ。

教育テレビと読書

では、その当時の私はどのようにして勉強をしていたのか。答えは簡単だ。教育テレビをひたすら見て(国語、算数、理科、社会、道徳)、そして読書をしていた。テレビを見て気になったところはノートに書いて、後で誰かしらに聞いていた。

家庭教師は優秀なお医者さん達だった。受験生よ、羨ましいだろう。

教師だった伯母がお見舞いに来てくれる時は、絵本や児童文学の本をよく持ってきてくれた。その中でも私の一番のお気に入りは、『オズの魔法使い』だった。主人公ドロシーの冒険物語はワクワクで、後にドロシーの仲間になる臆病なライオンが好きだった。何度読んでも飽きなかった。

読書をすることが私の読み書きに役立っていたのは間違いない。このように、私の教育の先生は、テレビと読書だった。そのおかげで、苦痛なくひとりで勉学に励むことができるように育った。