6章 院内学級と地域の受け入れ体制
当時の院内学級と地域の受け入れ体制
「教育を受ける権利」は、基本的人権の一つである社会権に属し「すべての国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する」という規定がある。この基本的人権に基づき、院内学級とは、学校教育法でいう障害を持ったカテゴリーに入る子供たちに、入院中、教育を提供する教室のことをいう。
厚生労働省「健やか親子21」では、小児科等のあるすべての病院に院内学級を設置することを目標にしている。残念だが、この目標の実現は厳しい状況にあるそうだ。
大阪警察病院と大阪大学附属病院入院中は、病院がある校区の小学校の分校として扱われていた院内学級に私は在籍していた。その当時の意識を反映していたのかもしれないが、正直、私を含め入院している子供たちの「教育を受ける権利」が守られていたとは決して言えない。
警察病院での院内学級では、高齢の教員二人が小学校一年生から六年生までを教えていた。授業に出席する時には必ず私服に着替え、授業は午前中に終わり、みんなで給食(病院食)を食べていた。宿題もあった。できる限り一般の学校に近い環境で、学べるように努めてくれていたのだろう。
だが、外見はいいが大事なのは中身である“学ぶ”が全く追い付いていなかったのが事実だ。教員の先生方は、私たちに教科書を読むように指示し、彼らはほとんど寝ていた。たまに掃除機の音のような鼾(いびき)をかいていた(苦笑)。
教科書じゃなくマンガを持ってくる子もいた。生徒たち(入院中の子供たち)が休んでも、教員の先生方が病室に来ることはなかった。出席できていた子供たちも少なく、私自身も約二年間で数えるほどしか行けなかった。実際に病気で大変な子供たちが学べる環境であったのかは大いに疑問だった。
阪大病院での院内学級は、さらに悲惨だった。体調がよい時でも行きたくないと思わせる杜撰な教育環境だった。病気を持った子供たちが一生懸命頑張って教室に来ているにもかかわらず、教員の先生は雑誌を読んだり競馬新聞を読んだりラジオを聴いたりと、最悪な環境だった。院内学級の教員の先生方は病気を持った子供たちへの知識と理解も低く、教師としての意識もかなり低かったのだと考える。
しかし、当時はそのことが決して問題にはならなかった。なぜなら、きっと子供たちの「病気を治すことだけ」が最優先にされていて、その子供たちへの教育の大切さがあまりにも認識されていなかった。院内学級だけではなく、同じことが地域の学校にも言えた。警察病院から阪大病院に入院するまでの一時退院の時、姉と弟が通っていた小学校の特別学級に私は在籍していた。
特別学級とは学校教育法のもと、教育上特別なサポートが必要な生徒たちの学級のことをいう。私は病状的にクラスには出席できず、時々、担任の教師から姉をとおしてプリントを渡されるだけだった。担任の教師も一度たりとも家に訪ねて来たことはなかった。