ここで重要なことは、各大学で開講されている各種科目をアクティブラーニング(以下、ALと略記)に転換しなければならないという点にある。一方、同じ答申においてALの定義を以下のように定めている。
ディスカッション、ディベート、グループ・ワークの有効性
教員による一方的な講義形式の教育とは異なり、学修者の能動的な学修への参加を取り入れた教授・学習法の総称。学修者が能動的に学修することによって、認知的、倫理的、社会的能力、教養、知識、経験を含めた汎用的能力の育成を図る。発見学習、問題解決学習、体験学習、調査学習等が含まれるが、教室内でのグループ・ディスカッション、ディベート、グループ・ワーク等も有効なアクティブ・ラーニングの方法である。(中教審、p.37)
発見学習や問題解決学習は通常のゼミで行われているだろうし、体験学習は学外の施設見学など、調査学習はゼミでのフィールドワークなどが想起される。実際、グループ・ディスカッション、ディベート、グループ・ワークなどは講義やゼミで取り入れている教員もいるだろう。教育実践に熱心な教員はこの定義を見て、≪いつもの授業と同じ≫と思うだろうが、≪面倒なことになった≫と思う教員が大半ではないだろうか。
おそらく、これは上記ALの定義が具体的な教育手法について述べたものであるから、演習に限らず一般の講義、すなわち座学においても拡張させられることに対する心理的抵抗があるのかもしれない。また、何をどうしたらいいか分からない思考停止状態の表れかもしれない。「座学かALか」といった議論が現場でなされる背後には、こうした事情があるのだろう。
これに対して、専門家の間でもALの定義をどう定めるかで統一的見解はないようだ。ここでは代表的なALの定義として溝上慎一のものを引用して紹介する。
■一方向的な知識伝達型講義を聴くという(受動的)学習を乗り越える意味での、あらゆる能動的な学習のこと。能動的な学習には、書く・話す・発表するなどの活動への関与と、そこで生じる認知プロセスの外化を伴う。(溝上、p.7)
■この「あらゆる」には、第1に、教授パラダイムから学習パラダイムへの転換を、少しでも多くの教員に促すべく、「書く・話す・発表するなどの活動への関与と、そこで生じる認知プロセスの外化を伴う」学習を少しでも採り入れていれば、それをアクティブラーニングだと見なしていこう、という含意がある。(溝上、p.11)
中教審の定義にあるグループ・ワークなどを首尾よく運営するには、それなりのコツとテクニックが必要である。教授するトレーニングを本格的に積んでいない大半の大学教員にとっては、その体得は苦痛を伴うことである。その点、溝上の定義にしたがえば、従来の座学に少しアクセントを加えるだけでALになるということである。
彼自身が強調しているように、この定義は「はじめから高尚なアクティブラーニングを求めると、保守派教員にはハードルが高くて尻込みをしてしまう」(溝上、p.11)ことを配慮しての、最も広い概念なのである。逆に言えば、現状においてはそれだけALの定着が難題だと言うことである。