おいしい梅干しが…
晩秋の数日、母を介護してくれている信州の姉の家に、手伝いと称して遊びに行った。
夕食用に姉が半分のカボチャを冷蔵庫から取り出し、種の部分をスプーンで取った。カボチャ本体はそのままに、種を一つずつ取りだし、ざるに入れて洗いだした。
「ん? カボチャの種どうするの?」
「うん、このカボチャね、近所の人にもらったんだけど、この前食べたらすごくおいしかったの。だからさあ、種を取っておいて、来年、庭に蒔いてみようと思ってね。こうやってよく洗って干しておけば、蒔けるでしょ」
怠け者の私なら「おいしかった」で終わりである。姉の行為に呆れてしまった。
前回夏に来たときは、庭で採れた梅の土用干しをしていた。三日三晩干す梅を夜取り込んで、リビングのテーブルやソファーに並べていた。直径八十センチほどの平ざるで五枚。一日干した梅はしわがより甘酸っぱい、いい香りをさせていた。
母を寝かせてから、一つずつ箸で裏返ししていく。私もまねをして裏返ししながら、なんと丁寧な暮らしをしているのだろうと思った。
杏が実ればジャムにし、梅が実れば梅干し、梅酒と忙しい。介護度五の母の面倒を看ながらである。
姉は子どもの頃から頑張り屋だったと思う。中学三年のとき「お母さん、私、今度学年で五番以内に入ってみせるから」と言い、事実そうなった。努力もすごいが、母に素直にそう言う、ひたむきさもすごい。私なら何かを頑張ろうと思っても、誰にも黙ったままちょっとやってみて「ああ、だめだったな」と思うだけである。
翌日の朝ごはんに梅干しが出た。私も夏に裏返ししたあの梅である。塩と紫蘇だけの味だが、デパートで買うものより深い味わいがある。
「これ、おいしい!」あんまり褒めたからか、
「梅を裏返ししてもらったものね。あなたの家の分もあるわよ」
姉が言った。
こんなにおいしい梅干しがもらえるなら、来年も裏返しのときに手伝いに来ようかなと、不埒なことを考えた。裏返しなんて梅干づくりのわずかな一部分にすぎないのに。
翌年、梅は不作でほとんど採れなかった。梅大王が、もしいるならばだが「もっとまじめにやれー」と私を叱ったような気がする。