翌朝、中央駅へ行き、ガルミッシュ・パルテンキルへンまでの国鉄の切符を求めた(往復二四マルク)。この駅は大変親切にできているので出発ホームもすぐわかる。
九時発の列車に乗って今日はアルペン街道とミュンヘンの水源地探訪が目的である。無風快晴のはずだが行けども行けども窓外は霧の中。途中で左側に一瞬、湖が見えた。岸には葦が密生している。
これはシュタルンベルク湖で、一八八六年六月十二日の晩に四十一歳のルートヴィヒ二世はここで謎の水死を遂げたのである。このへんの経緯はビスコンティの映画「ルートヴィヒ神々の黄昏」で有名になったが、ちょうどその時、ミュンヘンに居あわせた森鷗外の『うたかたの記』にも詳しい。
鷗外はベルリンのコッホのもとを離れてミュンヘン大学衛生学教授のペッテンコーファー(この大学に世界最初の衛生学講座を一八六五年に設置した)と研究していたのである。この頃コレラの伝染を巡って、コッホの上水道起源説とペッテンコーファーの下水道起源説が真正面から対立して、派手な論争を繰りひろげていた。
最終的には二〇世紀になりコッホの説が一応勝ち、ペッテンコーファーは自殺するという劇的な終末を迎える。世界に冠たるドイツ医学も血みどろの歴史を持つ。
ところでミュンヘンでは私の商売柄気になる水道水は飲用に適する。それどころか味にコクがあって実に美味い。そのくせ市民はビールやミネラルウォーターを愛飲しているのは実にもったいない気がする。しかしヨーロッパの古い伝統で、アルコール飲料の歴史が長く、ドイツ人は日本人の七倍のビールを飲むと言うし、なんでも執務中にビールを飲んでもお咎めなしのお国柄である。
ともかく約一七〇キロ北のニュルンベルクでは飲用注意なのに、ミュンヘンの水源はバイエルン・アルプスから出てきた泉水や地下水なので、むしろ美味なのである。
だが何より重要なことは一九六七年より塩素消毒を廃止したという事実である(空調衛生工学会誌・第六十三巻第六号)。第二次世界大戦後、ドイツは連合国軍に分割占領されたが、ミュンヘンを占領したのはアメリカ軍で、お国柄からただちに塩素消毒を強制した。
しかし、ミュンヘン市民はマンヒファル河の泉水を水源とする上水道は消毒不要なことを自慢していたので、占領終了後、遂に世界で最初に塩素消毒を廃止した。占領終了後の日本の対応はまるで反対で、河川の汚染進行に伴って塩素量をますます増やしていった。
最近、原水中の酸が塩素と反応すると、発ガン性があるトリハロメタンが弱性ながら発生することが明らかにされ、ミュンヘンの先見の明が輝いてきた。ここでドイツ各地の上水道の例から、この国の技術思想の特徴を言うなら、それは基本に忠実ということである。
ドイツではいつも枯れないストックとしての水源を重視し、泉水、伏流水、地下水等を求める。それに対し日本では不安定な地表水を水源とし、浄水場や塩素消毒のようなフローとしての施設に目を向けるが、これは長い目で見て正しい方法と言えるだろうか。
さて、ミュンヘンではマンヒファル河だけだった水源をイザール河支流のロイザッハ河にも拡大したのが一九八二年。もちろん塩素消毒をしない美味な水であった。霧が晴れて、列車はその緑豊かなロイザッハ河の清流沿いに快走する。やがて十時二十三分ガルミッシュに到着した。