仲間たち

回復のプログラムと言えば、日に三回のミーティングをこなすことだった。私はここで来くる日も来る日も、ひたすら自分の罪を告白し続けた。ほとんどは自覚なしに犯した罪だったが、中には、悲しんで犯した罪もあった。親不孝の数々はもとより、私を愛してくれた人々をあとに残して去ってきた。そうして私は多くの人々を裏切ってきた。

それは敗北を重ねた人生の絶望からきたものだった。その始まりは精神を病んで、学校生活から疎外されて、孤独になったことだった。信仰を得て、立ち直なおろうと、医者を志したが、受験に失敗した。それでも文系の大学に入って、学生運動に(くみ)したが、落伍(らくご)して、仲間を見殺しにしてきた。田舎に帰って、様々の職を転々として、最後に新聞屋になって、自分の店を持ったものの、それも破産させてしまった。

そんな失敗ばかりの人生の中で、累々(るいるい)と重ねてきた絶望と罪がもたらした心の痛みが、飲酒欲求に変貌(へんぼう)していた。あまつさえ、私はいかなる労働にも酒無しには耐えられなかった。そして、ブラックアウト(記憶喪失)の中で暴れもしたし、()えきれなくて幾度も仕事を投げてきた。それがどんなに人の怒りを買ったことだろう。徐々(じょじょ)に社会から疎外されて、最後は風雪の田舎をさ迷って、この施設に入れられた。私はミーティングの中でそんな話を繰返(くりかえ)した。

勿論(もちろん)、仲間たちの告白に聞き入りもした。仲間たちが言ってくれるから、私も言えたのだ。告白すれば、心が洗われていくような()がした。不思議なことに、私はそれによって飲まない生活が続き、(あや)ういながらも回復していった。

三ヶ月で体からアルコールが()け、半年で脳からアルコールが()け、その変わり目が苦しいが、一年()えれば、頭の中の(もや)が晴れると言われ、その一年を待ち続けた。