巡礼 房総半島・前橋
請西藩の陣屋跡を訪ねたのは、3月の彼岸の頃であった。我が家からは、川崎駅前を出て東京湾アクアラインを通り木更津駅まで行くバスの利用が便利である。アクアラインの長い海底トンネルを抜け橋の上に出たと思うと、霞んだ東京湾の景色を楽しむ間もなく、バスは対岸の陸地の上を走っていた。
陣屋跡は木更津駅の東南、直線距離で2キロメートルほど先の丘の上にあり、今は一帯が住宅地として開発されている。陣屋跡からは前面に広がる東京湾が一望できる。
頭上を羽田空港に降りる飛行機が大きな腹を見せてひっきりなしに通過して行く。陣屋跡の標識には「請西」は「じょうざい」の読みとなっていた。
しばらく陣屋の跡で時を過ごし、次の飯野陣屋跡に向かう。途中は人家が建て込んでいるが、それでも君津駅を過ぎた辺りから田畑も増え、菜の花や水仙、それに道端に土筆の群生を見るようになる。広大な飯野陣屋跡を、それを巡っている堀に沿って一周して、樋口盛秀と野間銀次郎の眠る寺に向かう。
寺は畑に囲まれ木立に趣のある集落にあり、寺の本堂手前左手に両人の碑があった。
しかし墓は見付からず、庫裏で尋ねようとしたが、彼岸のためか、庫裏はひんやりと暗く人気がなかった。
さらに佐貫の相場助右衛門の墓に向かう。この辺りまで来ると、房総半島も山が海に迫るようになり、大貫を過ぎると道は山間に入る。