第一章 伊都国と日向神話
1.ユダヤ系秦氏と『旧約聖書』
『古事記』は、この神と合わせ「三位一体」を成すと思われる、他の二神の御名を記す。
その高御産巣日(たかみむすひの)神とは前述の高木神のことであり、女(むすめ)がニニギの母となる萬幡豊秋津師比賣(よろづはたとよあきづしひめの)命である。
しかし以下の説明のように、高御産巣日(たかみむすひの)神は「獨神(ひとりがみ)」となっていても、天孫ニニギには祖父としての神になっている。系図としてはやや矛盾する親子三代である。
次に高御産巣日(たかみむすひの)神。次に神産巣日(かみむすひの)神。この三柱(みはしら)の神は、みな獨神(ひとりがみ)と成りまして、身(み)を隠(かく)したまひき。
「三位一体」という神の存在を表す神観様式は、西暦325年の第1ニカエア公会議以降のキリスト教の根本教義である。ユダヤ系秦氏が渡来したとき、すでにこのような神観をもって渡来したのか不明であるが、『記紀』編纂時期には伝来していた可能性を否定できない。
さらに、古代史の中で重要な史料を提供する「神社」についても、ユダヤの影響が非常に強い。ユダヤの神殿・幕屋と日本の神社に関する類似点をまとめた次の一覧表は、ユダヤ教の聖職者(ラビ)マーヴィン・トケイヤーの著作(『ユダヤと日本 謎の古代史』、『聖書に隠された日本・ユダヤ 封印の古代史』)を参考にしたものである。
これだけ並べれば、日本の神社に参拝することは、意識するかしないに関わらず、ほとんどユダヤの神殿でお詣りしているのに等しいことが分かる。
そればかりか、榊を手にした神主が低頭する信者のまえで清めのお祓いをしてくれることは、ユダヤの祭司が植物の枝や穀物を上下左右に揺り動かして罪を清める古代イスラエルの風習そのものである。
さらに神主の白衣の裾から下がっている房が、ユダヤ神官のそれと同じような形式であることも、ユダヤの神殿と日本の神社が同じ起源をもっている確かな証拠であると思われる。
神社のお祭りには欠かせないお神輿も、その類似性には驚嘆するばかりである。
以上の感想は、第一作のなかで述べたものである。
また『日本の中の朝鮮文化』(金達寿/講談社)からは、神輿を担ぐときの掛け声も、半島由来であることを学んだ。
神輿を担いだ若い衆たちのかけ声、「ワッショイ、ワッショイ」というのは、これは朝鮮語「ワッソイ(来ました)、ワッソイ(来ました)」ということなのである。
祭のときの神輿というのは、いわば臨時に移動する神社であった。いまもそういうところがあるのではないかと思うが、かつては一軒一軒、そうして氏子の家をまわったものだそうで、つまり、ワッソイ(来ました)、ワッソイ(来ました)、さあ、みんな出ておがんでくれ、そして塩でも米でも寄進してくれ、というわけだったのである。