西上軍について処刑が行われると、4月には、先に水戸で降伏し諸藩に預けられていた榊原たちについても、榊原など19 人に切腹、24人に斬首が命じられた。極悪非道を極めたのは、市川派による家族の処刑であった。妻や幼い子女の惨い死については、前に会津藩の例について見たが、そこには自分たちの意思も見ることができる。
しかし水戸藩の場合は、それは権力者による虐殺以外の何物でもなかった。市川派による処刑に対し、あまりのことに幕府の容喙もあったが、市川らはそれを無視した。以下に、前出の『幕末維新全殉難者名鑑』により、その犠牲者の芳名を掲げておく。