まさかの事態

「お久しぶりです、オガタさん!」

「おう、元気そうだね。やっぱり髪が伸びたんで来ちゃったよ」

十一時きっかりに店に現れたのは、公私ともに長年お付き合いさせていただいているフォトグラファー、オガタさんだ。彼の写真集は店の待合スペースにも置いている。

「シャッターは二五〇分の一なんだ。極微の瞬間をとらえるんだ」

一枚の写真が物語る人生とその背景から人の想いがよく伝わってくるんだ。オガタさんの写真集は表面的なものの奥を映し出している。瞬時にその場の空気と人の感情をとらえるというのは、どれほどの感度なのだろう、と彼に対しては尊敬しかない。最後に来たのは二月上旬でいつもは一カ月に一度のペースで来てくれていた。

「二カ月も髪切れないなんて拷問だよ」

「来てくれて嬉しいですよ」

本当に泣きたいくらい嬉しかった。

「元気でしたか?」

彼が椅子に腰をかけると、その椅子をくるっと鏡の方に回して鏡越しに話しかけた。

「いやー、自粛で気が滅入っちゃうね。もう三十年以上この仕事をしているけど、撮影がないのは初めてだよ。僕たちの業界は、モデル、メーク、照明や色んなスタッフが現場に関わるからね。密は避けなきゃいけないんで、入っていた仕事はすべてキャンセルだ。先がわからないから予定も入ってこない。まさかこんなことが起きるなんてねぇ」

両腕を組んだまま視線を斜め下に、一点を見つめていた。

「そうですよね。本当に大変ですよね」

彼の大変さが胸に刺さって言葉が続かなかった。

「だからって髪をだらしなくすることはできない。人に会わない時だからこそ、自分で美意識を磨かなきゃいけない、だろう? よし、思いっきりエッジーにしていいよ、ツーブロックで」

組んでいた腕をほどき、鏡越しに俺と目を合わせると、オガタさんはニコッと笑みをつくった。