父の瞬間湯沸かし器は止まらず、思いもかけないところでスイッチが入って怒鳴りだす困った性格でした。母が家にいることがいたたまれず、勤めに出るようになってやっと家庭は落ち着きました。ちょうど父方の祖父母と同居した時期と一致します。

私は父に対して、幼いころから憎悪の気持ちを隠し持っていたのです。それは、一歩間違えれば殺意です。私は一人っ子で、いちばん身近な異性が父だったので、異性に対しても潜在的によい感情は持っていませんでした。このために女子校が居心地よく感じていました。

私が19歳になったとき、さらに父との関係が悪化したので、短大入学を名目に家を出て、内心では戻りたくないと決めていました。それがその通りにはいかなかった。

結婚して6年目、母の病気が判明して以来、長きにわたる介護生活が始まり、なし崩しに同居して両親を看取ることになりました。でも、すべてが終わった今では、これでよかったと心から思っています。運命とは皮肉でのちに素晴らしいものなのです。

2回目にほめられるとされる結婚したときは、お色直しと出し物でとにかく忙しく、両親の顔もまともに見ていませんでした。

3回目にほめられるとされる死んだときは、まだ訪れていないのでわかりません。

「人は死ぬとき、ほめられますか?」

事件や事故のニュースを見ていると思います。特に事件の犠牲者に対しては、決して悪くいいません。

ともすると、加害者に対しても、まさかあの人がと聞こえてきます。特に家族間のいさかいで起きた事件には、前兆があるのではないかと思います。私の父が死んだとき、近所の人によく事件に発展しなかったと、慰められました。ずっと別居していた夫が戻ってきているときなど、夫婦げんかが激しくて、近所の人が出てきて心配されました。

両親どちらにも手を下さずに、看取ることができて本当によかった。人間は元来孤独なものだと思いますが、私は自分が凶行を起こさないために、言葉を発信し続けるのだと思います。