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母との別れ

私の母は、2016年11月に老衰のために亡くなりました。父母の位牌には、「享年八十八」と記されています。享年は数え年ですから、父母ともに亡くなったのは87歳です。

2016年2月、母は血中酸素濃度が極端に下がり、救急搬送されていました。老人ホームから連絡があったとき、なにが起こったのか正直いって私には理解できませんでした。搬送される数日前にも、母に面会していましたが、変わった様子はまったく見られませんでした。

2016年に入ったころから、施設の往診医や母の担当者から何度も呼び出され、終末期医療の話をされたのが、とても気掛かりでした。そのころの母は、食事がまったく摂れない状況でした。

母の施設に週2回来ている往診医に点滴をしてもらうなどの処置を受けて対応していましたが、そのほかの日は、常勤している看護師が母の処置を行っていました。母の顔の色つやは、とてもよかったので、そんなに深刻な状況だと私は捉えていませんでした。

体調の悪いときは前にもありましたし、また体調がよくなったら、食べられるのだろうと思っていました。

「娘として最後はどうしたいですか?」

そう聞く医師に対して、母は延命措置を望まないだろうと考えて、

「本人の寿命に任せて、自然なかたちで見送りたいと思います。胃ろうはなにがあっても嫌です」

と伝えました。

胃ろうとは、腹部を切開して管を通し、栄養素や医薬品を投与するための処置です。胃ろうによる延命措置に関しては、尊厳死の観点から賛否両論ありますが、健康なときに、本人の希望をよく聞き、家族の考え方を話し合っておくことをお勧めします。