そういうわけで受験勉強から解放され、大学生になったとたんに、またぞろ「あれも、これも」と言い始めたときのことだ。いつものように、また新しいお稽古を始めたいと言い出した私に母が答えたことがある。

「死のことを習うって、なに?」

「いいわよ、なんでもやりたいことをやってちょうだい。でも、その前に死のことを習ってからにしてちょうだいね」

「しのことを習うって……」

瞬間どういう意味かわからずぽかんとしている私に母は言った。

「人間は必ずいつか死を迎えるのよ。誰でも、どんな偉い人でも、お金持ちでも貧しくても、生まれたときから人は死に向かって歩いているのよ。だからそのときがやってきたときになって急にあわてたり、こうしておけばよかった、ああしておけばよかったと後悔しないように生きていかなければいけないの。自分はどうやって生きていくのか、それをしっかり考えること、そのことが人間にとって一番大切なことなのよ。お稽古よりそのことが先。

あなたもそのときのために、いまどうしたらいいのかをよく考えて、そのことがちゃんとわかってからならなにをしてもいいわ。なんでも好きなお稽古をしてちょうだい」

子供のお稽古事ごときにずいぶん大げさな言いように聞こえるかもしれない。だが確かに母は「死のことを習ってからにしてちょうだい」といったのだ。

母は信仰心の篤い人だった。自分が信じる道を求めて、いろいろな宗教や哲学の本を自分なりに勉強していた。だからまだ若かった母は少々気負って学んだばかりの高僧の言葉を使って見せたのかもしれない。

「死のことを習って……」という言葉は、誰か、仏教の宗派を開いた僧の言葉にあったような気もする。