冬麗や視界九割富士の嶺

私の駄目な句コレクションを披露する。

(4) 湯に(きよ)()けたる裸身(らしん)雪女郎(ゆきじょろう)

・作句の意図 山形県の(ひじ)(おり)温泉(おんせん)へ単身で吟行に行った。ここは日本で一、二位を争う降雪量の多い地域である。宿泊客は少なく、寝る前に入った宿の湯は私だけであった。浴場は湯治場の雰囲気が残っていて、泉質も炭酸水素塩泉で体が温まる良い湯だったが、深夜の温泉に一人は寂しかった。

宿の主人に聞いた雪の話から、雪女のことが頭に浮かび、もし今雪女がこの湯に入ってきたらどうだろうと思った。肘折温泉は混浴ではないが、ちょうど良い湯加減の湯に長く浸り、気持ち良くなってそんな妄想をしていた。雪女よりも雪女郎にした方が、色っぽさが出ると考えた。

・結果 雪女が温泉に入ったらたちまち溶けてしまうだろうから、湯には入らない。この句は無理であると一刀両断された。私は、俳句は詩であって、物理学や医学ではないのだから、雪女が湯に入ってもおかしくないと主張したが、理解を得られなかった。皆さんの反応は、雪よりもさらに冷たく、氷点下を指していた。

(5) シニアとは死にニアの人夜鳴蕎麦(よなきそば)

・作句の意図 私は団塊世代の後期高齢者。いつのまにかシニアになったなあと思っているうちに、シニアとは死にニアミスしつつある人々なのだと気がつき、無常感にとらわれた。シニアのシが死と同音なのも不吉に響く。下五は、鳴く(=泣く)という語が含まれた食べ物の夜鳴蕎麦という冬の季語を持ってきて、寂しい気持ちを表現する。

・結果 「………」(句会場あぜんとした雰囲気)つまらない言葉遊びだ。俳句は駄洒落や言葉遊びではない。俳句とは何かをもう一度考え直すべきと、強く言われた。