なりすまし
昨日自分が人間でないことに気がついた。驚いた。しかし、どうやら周りはまだ気づかないでいるらしい。気づいてしまった以上はいっそのこと人間の殻を脱ぎ捨ててあるがままの姿で生きた方がどんなに楽かしれない。どおりで今まで人間として生きてきて息苦しくて仕方なかったが、人間でないのだから無理もない。かえって今までよく頑張ってきたと自分を褒めてやりたいくらいだ。しかし今までせっかく人間の中にまぎれ込んでなんとかやってきたのに、自分からその身分を捨てるのはいかがなものか。今まで享受してきた人間としての待遇も剥奪されてしまうのは、それはしかし、勿体なくはないか。いつか見破られてしまったら仕方がないが、せっかくここまで気づかれずに済んだのだから、見破られるまではこのまま知らぬふりを通した方が得というものではあるまいか。しかし、今までは自分もそう思い込んでいたからできた真似だ。そうでないと気づいていながら、今までのように四六時中、二十四時間体制で人間のふりをし続けるなんて一体できることなのだろうか。いいや、とてもそれはできまい。ただひたすら望むのは延長のみ。日一日今の暮らしを延長できることを祈るばかりだ。そうだ、やはり私は人間としての暮らしが惜しい。決して手離したくない。ある朝、きっとそれは明るみに出るだろう。地団駄を踏んでも家の柱にしがみついて泣き叫んでも容赦なく私は連行されて牢獄に放り込まれ、一生出ることなど叶わないのだ。人間でない罪のために。それまでは努力し続けよう。そうだ、今までできたことなのだ。この先だって続けられるはずだ。大丈夫、まだ誰も気づいていないのだから。お前は今となってはほとんど人間なのだ。きっとそうに違いない。