晴海と豊洲に新都市が誕生した
新都市の誕生には色々なタイプがあります。市町村合併で生まれる新都市は何も変わらず名前だけの新都市ですが、何も無かった場所に生まれるタイプの都市が本当の新都市です。既存の住宅や工場を取り壊して、その跡地を再開発して生まれるタイプの新都市が、今回取り上げた晴海と豊洲の新都市です。
両者とも業務機能と商業機能を兼ね備えた都市であることで、東京の都市機能が本格的に臨海部に移動した最初の典型的な事例となりました。晴海のアイランド・トリトンスクエアは、明治時代に埋め立てた晴海地区にあった日本住宅公団団地を取り壊して新都市を建設した、海浜地区での都市再開発事業の第一号でした。
新都市の中心となるアイランド・トリトンスクエアは、オフィスビルを中核とした複合商業施設と住居群で構成されています。その場所は銀座、築地という都心部に最も近く、晴海通りで直接繋がっており、また地下鉄大江戸線の勝どき駅及び有楽町線の月島駅にも近く、オフィス街としても、住宅地としても便利なところです。
豊洲魚市場が移転してくるよりも一足早く、晴海の新都市トリトンスクエアに続いて巨大な豊洲新都市が誕生しました。豊洲は、関東大震災の瓦礫を埋めて造成された埋立地で、戦前から石川島播磨重工業、東電の火力発電所、東京ガスのガス製造工場などの大企業が立地しており、関連下請企業もありました。
また、そこで働く人々の住居と街並みもありました。この工場地帯が変化し始めるのは、昭和六十三(1988)年地下鉄有楽町線の豊洲駅が設置されてからです。平成四(1992)年豊洲駅に隣接して豊洲センタービルが完成し、NTTデータセンターなどオフィス機能が移転してきます。
その後、豊洲駅から西北方面の豊洲地域でも大規模な都市開発が進みました。石川島播磨重工業と日本ユニシスの本社ビルが建ち、晴海通りに沿ってアヴァンセリアン豊洲、豊洲フォレシアなどの高層ビルが建ち並び、豊洲センタービルまで続く立派な豊洲オフィス街が誕生しました。
他方、眺望の良い高層マンションが、晴海運河と豊洲運河の岸辺に建ちました(パークシティ豊洲、ラツール豊洲、シティタワーズ豊洲ツインなど)。
こうして工場地帯だった豊洲は、最新のオフィスビル街と高級マンション地区で構成する新都市に変身したのです。豊洲に誕生した新都市が如何に巨大なものか知るには、朝の通勤時間帯に地下鉄有楽町線で都心から新木場行きの電車に乗ると分かります。新木場の二つ手前の豊洲駅で、すし詰めだった全車両が空っぽになり、ホームは下りた客で歩けない程混み合います。
都市には銀座のように商業機能中心の都市もありますが、大抵の都市には商業機能だけでなく業務機能、即ち会社のオフィスもあります。仕事をする人が居て、生活する快適さもある都市が理想的だからです。その意味で、晴海のアイランド・トリトンスクエアの新都市も、豊洲のアーバンドッグららぽーと周辺の新都市も、規模の大小はありますが、よく整備された新都市です。
最後に、晴海と豊洲の二つの新都市は、将来モノレールの「ゆりかもめ」で結ばれることになります。平成十八(2006)年にお台場を巡る「ゆりかもめ」が豊洲まで伸びてきましたが、更に勝どき駅まで伸ばす計画だそうです。