自慢の歌

紫式部は、奥床しい人であるから、自分の学識や歌について、自慢げに語ることはない。美意識に反するからである。

だから、そのようなことのないよう、常に自戒していたであろう。

しかし、ときに、我慢しきれないことがあるらしい。

明石から都に復帰した光源氏は、明石に残してきた明石の君が女児を出産したとの報告を受けた。宿曜すくようの占いによれば、将来后になるかもしれない大切な姫君である。

その姫君のために、光源氏は、慎重に、かつ、内密に乳母の人選をした。選んだのは、故桐壺院に仕えていた宣旨女房の娘に当たる女性である。

光源氏は、機会を見て、こっそりと宣旨の娘の家を訪れて、明石の姫君の誕生のいきさつなどを詳しく説明した。

この娘には、宮中で出会ったことがあり、その当時と比べるとすっかりやつれてしまっているが、それでも若さがあり、美しい人であるので、光源氏は、気を引かれて、冗談話を続ける。光源氏が

「明石へは行かさず、こちらに取り返したい心地になる。お前はどうか」

と言うと、宣旨の娘も、光源氏の身近に仕えることができれば、辛い身の上も慰められるだろうと思っている。

光源氏「かねてより隔てぬなかとならはねど別れはしきものにぞありける」

(以前から隔てのない間柄だったわけではないが、別れるのは、名残惜しいものだ)

宣旨の娘「うちつけの別れを惜しむかごとにて思はむかたに慕ひやはせぬ」

(別れが名残惜しいと言われるのはこの場限りの出任せで、本当のところは、明石の君や姫君のところへ行きたいと思っておられるのでしょう)

物語は、宣旨の娘の歌について、

「宣旨の娘の手馴れた詠みぶりは、なかなかたいしたものだと思う」

と、光源氏の思いを書いた。

実際、この歌には、複雑な事情と光源氏の心境とが、実に巧みに詠み込まれている。この歌は、紫式部の会心の作であったのだろう。

紫式部は、光源氏の思いを借りて、自画自讃したのである。

(1)馴れて聞こゆるをいたしと思す