「美鈴さんの音信が途絶えていたとき、お母さんがどれだけ心細くて、不安な思いをしてたのか。わたし、わかったつもりでいたけど、ほんとはなんにもわかってなかった。でも、この何日間かで、やっとそれがわかったの」

「アリ子……」

「どれだけ信じてたって、心は、どんどん不安でいっぱいになる。手を伸ばしても、どこにも届かない。それに―わたし、ミュウのこと、ほんとになんにも知らないんだよ! つながるものが、なんにもない。わたし、ミュウを縛りたくなんかない。四六時中電話したいわけでもメールしたいわけでもない。ミュウは自由な子だもん。そういうミュウがわたしは好きだよ。だけど、離れてたって、ミュウとちゃんとつながってるんだ、って、そう思えるものがほしい。それって、いけないことなの?」

ポケットから引っ張り出したケータイを両手で握りしめ、ミュウにむかって突き出すように腕を伸ばす。

「いいじゃない! こんなちっちゃな機械にたよったって、ただの電波にたよったって。それが、ミュウとわたしをつなぐ大切な一本の糸になってくれるなら!」

ミュウが、短くかぶりを振った。

「ぼくはべつに、自由なんかじゃないよ」

わたしは、はっとわれに返った。

ケータイを握りしめていた手から、がっくりと力が抜ける。そのまま、どうしていいかわからず、泣きべそをかくような声で、あはは、と笑い、目もとを手で覆う。

「ごめん……わたし、うっとうしいね」

だめだ、こみあげる言葉をとめられない。

「マジで、なに言ってんの、って感じだよね。超ウザいよね。なんでだろ、梅雨のせいかな」

ほんとにどうしちゃったんだろう、わたし。こんなふうに、人との距離のとりかたがわからなくなっちゃうなんて……。感情のコントロールが、ぜんぜんできない。泣いたり、笑ったり、わめいたり―これじゃ、ただの情緒不安定な子じゃないか。

ミュウが、片手を腰にあて、はあ……とため息をついた。

「ほんとに……なまらバカだね、きみは」

「う……わざわざ追い打ちかけなくたっていいじゃない」

「そうじゃない。ほめてるんだよ、アリ子」

「え? どういうこと?」

意味がわからなくて、わたしは首をかしげた。

「バカな子ほどかわいい、っていうこと」

「ええ? それ、ぜんぜんほめてないよ」

「ぼくがほめ言葉と言えば、それはほめ言葉だ」

唯我独尊!? ていうか、ジャイアン!?

ミュウが、ゆっくりと手のひらを広げ、見えないなにかをつかむように閉じた。

「一本の糸、か。まるで、アリアドネの糸だな」

「アリアドネ……? それって、どういう意味?」

「ギリシャ神話だよ。今度、図書室で神話事典でも見てごらん」

「ええ〜、教えてくれてもいいのに」

「こういう知識は、自分で調べなきゃ身につかない」

「う〜、ケチ〜」口をとがらすと、ミュウがにやっと笑った。

「ケチじゃない。スパルタだ」

なにも、こんなところで、お返ししなくたっていいのに……ぶつぶつ。

そのとき―どこかでジャリッという音がした。あわててその方向に顔を向ける。

視界に飛びこんできたのは、渡り廊下の手前で、中庭を横切り走り抜ける生徒の姿。

目を凝らした瞬間、その姿は、もう校舎の陰に消えていた。

顔は、ぜんぜん見えなかった。ひるがえったスカートの(すそ)と背中に揺れる髪で、かろうじて女子だということがわかっただけだ。

「なんだったんだろう」

首をひねりながら、ミュウに視線をもどす。

ミュウは、興味なさそうに両手を広げ、「さあね」と言った。

こんな時間に、中庭で生徒を見かけることは、ほとんどない。とはいえ、学校の敷地の一部だ。生徒がいたからといって、それを怪しむ理由はなにもない。

まあ、いいか……。

ふたたび歩きだしたわたしの頬を、やんでいたはずの雨が、ぽつんとたたいた。

どこかで、遠い空耳のように、雷の音がした。