桐壺帝が犯された罪

須磨に退去している光源氏は、激しい暴風雨に襲われた。暴風雨がようやく収まりそうになった夜、亡き桐壺院が光源氏の夢の中に姿を見せ、光源氏に語られた。院は、その言葉の中で、「自分は、帝の位にあったとき、誤った判断をしたことがないが、『おのづから』犯した罪があるので、その罪の後始末で忙しい」(1)と言われた。

夢の中の言葉は、夢を見た人(ここでは、光源氏)の心の反映であると見るべきかもしれないが、ここでは、桐壺院の言葉であるとして、その意味を考えてみる。院は、前半部分で、桐壺帝として帝の位にあったときに誤った判断をしたことはないと、自信を持っておられる。他方、後半部分では、何らかの罪を犯したと自認しておられる。

一見すると、前半部分と後半部分とが矛盾するように見えるが、これらは、どのようにつながるのだろうか。引用文中の「おのづから」という語には、「しぜんに。いつのまにか」という語義のほかに、「みずから」という語義もある。「おのづから」を「みずから」という意味に解すると、後半部分は、帝個人としての行為に関して犯した罪があると言っておられると解されることになり、引用文の前半部分と後半部分との矛盾は解消される。

それでは、桐壺帝は、帝個人としての行為において、どのような罪を犯されたのだろうか。筆者が読み解いたところを略述すれば、以下のとおりである。

桐壺帝は、最愛の桐壺更衣が遺した光源氏を東宮に立てたいと強く思っておられたが、諸般の情勢でそれを実現することができなかった。そこで、桐壺更衣によく似ているという藤壺に光源氏の子を産ませ、その子を自分の子(皇子)として育て、やがて東宮、さらには帝とすることを思いつかれた。帝は、この思いつきを実現するために、さまざまな策をめぐらされた。

その結果、この偽りの皇子は東宮となり、さらに冷泉帝として帝の位に即かれることになる。思えば、桐壺帝のなさったことは、天を欺き、人をも欺く行為であって、まさしく「罪」に当たる。さらに言えば、偽りの皇子が東宮となり、さらに帝の位に即くという物語の展開は、帝のめぐらされた策によるものであることが、「おのづから犯しありければ」の一言において、明らかに示されていると考える。

他方、夢は夢を見た人の心の反映であるとして考えてみると、藤壺と光源氏との間に生まれた不義の子が現に東宮になっているのは帝がめぐらされた策によるものだということを、光源氏が無意識のうちに感じ取っているということになる。

(1)我は位にりし時、あやまつことなかりしかど、おのづから犯しありければ、その罪をふるほどいとまなくて