語学留学の先に見えた未来
ある日、学校で小さな子どもたちが父親や母親に連れられて英語の学習に来ているのを見かけた。
子どもたちは、集団授業だったが、先生に教えられた言葉を躊躇なく話し、聞き、理解して会話をしていた。その記憶力や順応性、適応性を間近に見て、素晴らしいと思った。
やはり幼少期のタイミングで英語に触れさせることが、将来の日本の子どもたちの素養になると確信した! そう思うのと同時に自分の適応能力の無さに暗然とした……。
8月上旬、言葉が出なくなったと同時に学校に行くことが苦痛となっていた。
「学校にいきたくない。でもやらなければならないことがある」そう自分に言い聞かせて学校にいくものの、不登校になる子どもの気持ちが少し分かった気がした。
面白くない・理解できない・上達できないと消極的な言葉が頭を占め、心を徐々に蝕んでいった。そして、その矛先は先生に向けるようになってしまった。
先生が教えるのが下手糞だから上達しないのだ・違う(ロン)、違う(ロン)と連呼をするな・授業中にお菓子を食べるなと心の中で罵った。
ついには学校側に先生を代えてほしいと嘆願した。
先生は落ち込みながら、それでも私に「あなたはここに何をしに来たの?」と質問した。
すごく単純な質問であった。
私は迷わず「英語を習いに来ました。」と答えた。
先生は「では、学習しましょう」と言った。その時、目的を見失い、できない言い訳ばかりを並べたて、先生にあたっている自分に気づいた。
先生からすれば、子どもの癇癪と同じであっただろう。そう思うと、はぁっ……と感じると同時に心を占めていた雲が晴れていくのを感じた。
少しずつやろう、焦らずにやろうと心を奮い立たせた。
毎朝、ランニングマシーンで走り、気分転換を図ることもできるようになった。それでも、自分自身の心の戦いは続いていた。