記憶の仕組み:アメフラシから人間まで

新型コロナウイルス感染症に対して2020年4月半ばには日本全国に非常事態宣言が出され、美術館・動物園・水族館などが軒並み臨時閉館となりました。

東京のすみだ水族館では、チンアナゴが人間を忘れてしまい、飼育員が近づくと土にもぐって隠れてしまうことが話題になりました。

そこで飼育員は、チンアナゴの周りに携帯電話をいくつも立て、ヒトのライブ画像を見せることを思いつきました。確かに、水槽のガラス越しに人が外から眺めるのと同じ感じになりますね。ビデオ通話をしてくれる人を募集したところ、たくさんの応募があったそうです。そして、いろいろな人の画像にしばらく囲まれると、チンアナゴはまた人を怖がらなくなったそうです。

記憶という機能は、とても高度な働きのように思えますが、実はヒトやチンアナゴを含む魚類などの脊椎(せきつい)動物だけではなく、もっと原始的な軟体動物でも詳しく観察されています。記憶を担う脳の神経細胞の形態や刺激伝達の方法は、これらの動物すべてで驚くほどよく似ています。

アメリカ人のエリック・カンデル博士らがアメフラシという軟体動物を使って神経系の情報伝達に関するさまざまな実験を行い、2000年にノーベル医学・生理学賞を受賞しました。博士は、さらに「記憶のしくみ」という一般向けの解説本を執筆しています。その本の中から、私が面白いと思ったトピックスを以下にご紹介します。

アルツハイマー型認知症では、初期に脳の海馬という部位が障害され、記憶障害が進行してきます。実は、海馬が記憶に重要な役割を果たしていることがわかったのは、50年以上前に手術で海馬を取り除いた人に記憶障害が見られたことが報告されたからです。

カナダに、度重なるてんかんを患っていた30代男性がいました。主治医のドクターが、てんかんの原因部位であった両側の海馬を焼いて除去する手術を行いました。すると、患者のてんかんは治ったのですが、その後酷い記憶障害が出てしまったのです。この患者は、普通にしゃべれるし、理解力もあるのに、新しく記憶することができなくなり、また少し前のことをまったく思い出せなくなってしまいました。

記憶には覚えている長さによって3つの種類があります。即時記憶・短期記憶・長期記憶です。

即時記憶とは耳で聞いた数字などをすぐさま復唱する記憶で、その後記憶としては残りません。短期記憶(近時記憶)とは数分から数時間、数日くらいの比較的短い期間の記憶です。そして長期記憶(遠隔記憶)とはもっと長い、何年とか何十年前の記憶のことです。

この患者では、短期記憶だけが障害されてしまいました。即時記憶と、昔のことを覚えている長期記憶は保たれていました。短期記憶は海馬に蓄えられますが、長期記憶は脳の皮質などのほかの部位に広く分布するようになります。だから、海馬だけ障害を受けた患者では、長期記憶に関しては問題ありませんでした。

また、短期記憶が長期記憶として貯蔵されるためには、記憶固定の時間と新しい蛋白の合成が必要となります。つまり、より複雑な過程であると推測されます。