日本橋江戸の伝統を担って

(1)伝統を重んじる日本橋

繁華街として質量ともにナンバーワンと見られるのは銀座であり、繁華街の広さで断トツなのが新宿であり、繁華街の集積の密度が一番濃いのは渋谷ですが、いずれの繁華街も歴史と伝統のある日本橋の風格には敵いません。

日本橋は江戸の城下町の中心として発達しました。徳川幕府が江戸に城を構えると、城の前面の湿地帯を整備して城下町を開きました。江戸城の傍を流れる平川(後の日本橋川)を改修して架けた橋が日本橋です。

その日本橋には全国へ伸びる五街道の起点が設けられました。江戸時代、日本橋は東海道、中山道、日光街道、奥州街道、甲州街道の五街道の起点となったところです。明治政府も日本橋の中央に日本国道路元標を設置しました。日本の商都は大阪であり、江戸は武士の都でしたが、やがて日本橋は全国から人と物が交流する拠点となり商業が盛んになります。

江戸経済の物流は、隅田川から日本橋川を上る船便で支えられていたので、日本橋周辺では生活物資を扱う問屋や商店が数多くありました。中でも日本橋の袂に開かれた魚市場は、江戸の台所を支えた市場で、魚介類の食品を扱う商店で賑わいました。

明治時代になりますと新たに金融・証券などの業種が日本橋界隈に集まります。日本銀行、三井銀行などが本店を構え、日本橋から茅場町へは証券会社が設立されました。日本橋界隈は、江戸時代からの伝統的な衣料、食品を扱う老舗商店街と、明治時代になって生まれた近代的な金融業とが共存して栄える町になりました。

銀座が欧米のモダンを受け入れて過去の街並みを次々と変えていったのに対して、日本橋の街並みには、昔ながらの老舗商店が沢山残っており、街並みの形態も銀座のように急激には変化しませんでした。昔は銀ブラには略装で行けたが、日本橋へは正装して出かけたと言います。

昔の東京人のセンスでは、銀座のハイカラは野暮であり、日本橋のお洒落は格式が高かったのです。