(2)超高層化しても変わらない日本橋の伝統

銀座は流行を追い日本橋は伝統を守ると言いましたが、いまや日本橋の街並みも変わろうとしています。

それは日本橋にも都市再開発の波が押し寄せて、ビル街の超高層化が進んでいるからです。平成十六(2004)年に白木屋跡にコレド日本橋ビルが建ちました。ビル前面がせり出したカーブをもつ変わった形の超高層ビルです。

これを契機にして、平成十七(2005)年、三井本館の横に超高層ビルの日本橋三井タワーが建設され、この日本橋三井タワーの前に、平成二十二(2010)年コレド室町という超高層ビルが建ちしました。

その後も、立て続けに超高層ビルのコレド室町二号、三号が起ち上がって、日本橋の中央通りの両側は、一挙に高いビルの壁で囲まれたような街路に様変わりしつつあります。日本橋にも次々と建設された超高層ビルは、商店、飲食店、オフィスなどが同居する複合ビルです。

今まで戸建てのビルの一階で営業していた老舗商店は新しい超高層ビルに次々と移転して営業しており、ビルという衣装を新しくして、伝統ある商店達は日本橋中央通りの商店街に生き残っています。

(3)日本橋伝統の老舗とは

江戸の三大繁華街と言えば浅草、両国、日本橋でしたが、浅草、両国は娯楽で栄え、日本橋は商業で栄えたと言われます。

江戸時代の日本橋は、卸問屋も小売屋も集まる商業の中心地でしたが、消費生活の必需品と言えば、当時も今と同じく衣料品と食料品です。そして当時は高級な衣料品は呉服であり、高級な食料品と言えば魚介類でした。

呉服屋と言えば、江戸時代の延宝元(1673)年創立の「現銀掛値無し」商法で有名な呉服店の越後屋ですが、三井呉服店から三越呉服店になり、三越デパートとなって、日本橋本店を建て(昭和十〈1935〉年)、その後隣りに新館も建てて今も健在です。

呉服が贅沢品であることは今も変わりはないですが、魚介類が高級な食べ物であるというと不思議がる人がいます。しかし、昭和時代でも戦前の農村では、穀類と野菜が主な食品であり、来客があったとき町の市場へ魚を買いに行ったものです。

従って江戸時代でも、日本橋の海産物商店のお客さんは、武士階級や金持ちの町人でした。今でも魚河岸があった日本橋付近には魚介類の加工品販売店が沢山あります。鰹節の老舗の「にんべん」商店、海苔の老舗「山本海苔」、老舗の「神茂」、佃煮の「鮒佐」など皆、伝統ある老舗です。

海産物を調理する包丁類を販売する刃物の「木屋」なども含めて、老舗が新築の超高層ビルに移転して営業しています。