この娘の手記には、応接間でじかに読み進めた限りでは、来栖に関する愛情表現はおろか、彼に関する直接の言及は一切なかった。実際にそのことを率直に指摘した。

百合の母親と兄が同席する中で、このような種類のものを一部なりとも読んでしまったことで、既に悔いの念と不愉快な気分を味わっていた。彼は百合については何らかの具体的な印象など持っていないと自覚していたから、彼女との親密な関係などあろうはずもないことだった。

もっとも単に『メモ』か、せいぜいのところ『手記』としか呼べないようなものを母親と兄は後生大事に『遺書』と名付けている。

彼らの立場に立つと、もう少し真摯に百合が書き残したものを理解しなければならないのだろう。あの時には『手記』中にある「あのひと」という言葉に来栖自身何か引っかかるものを感じたのは事実だ。しかし百合の『手記』の前半部を読み終えた限りでは、楽しいとか愉快などとは到底言えないような気持ちしかわいてこなかった。

それでも先をさらに読み進めていくよう促されるとあっては、さすがにこの先を読み進めることなど断ろうという気持ちに固まったのも当然だった。

結局「あのひと」の意味内容を詮索するようなことも馬鹿げていると思い直し、『手記』の内容を検討し直すべきかというような思いつきも打ち捨ててしまった。

ところがすぐ目の前で端然と座り続け、彼を生真面目そのものといった顔つきで見据えている百合の母親をまのあたりにすると、断るためのかっこうの言い訳がおいそれとは出てこない。立ち去るための契機も見つけられない。すぐさま暇乞いをする行動に入るというのも実際のところためらわれた。

そこで彼は二人に注目されたままで『手記』をさらに読み続ける状況に陥ってしまうのを避けるため、彼のほうから質問してみようと思いたった。沈黙の気詰まりだけは何とか打ち破りたかった。