音楽家が抱く人生の悲しみや憂い
百合の兄の二宮守に対し、来栖はいつの頃からか、姓ではなく名のみで「守さん」と呼んでいた。そのように変わっていった時の心理を自身でも説明できないでいた。妹と来栖とは少なくともある程度は個人的に親しくなっていたはずだと推しはかり、それを来栖からも直接聞かないではおかないとする気迫のようなものが守の態度には垣間見えていた。
あの時からだ。呼び名をどうしたらいいかということを契機に守との関係を次第に強く意識し始めたのは。来栖がまず考えたのは守のほうは妹の残した『遺書』の行間をいわば勝手に深読みしたということだった。
妹自身が生前愛していた人として、『遺書』では来栖を名指している。そこまでは彼も今では了解していた。ところが守のほうはさらに一歩踏み込んでいる。常日頃より控えめな妹の書きぶりからしても、彼女と来栖の二人は秘密裡に親密な男女のつき合いをしていて、一方通行どころか間違いなく相互に愛し合っていたはずだと確信してしまったのだろう。
一方的とはいえ、兄として百合に肉親の情をもって肩入れしすぎた結果、このような帰結を導き出したに違いない。そうであれば兄の思い込みは明らかに飛躍しすぎている。第三者にとっても少なからずおかしいと思えることだ。どうして母親と息子との話し合いがあのような流れになってしまったのか、来栖としても合点がいかない。
後から思い起こすと二人に対してチグハグそのものというような対応をしてしまったからではないかと、反省するところもあった。百合の兄に対してはそれ相応の親しみと敬意を表さなければと、無理に言い聞かせて自らを誘導してしまった。
その結果、相手に迎合するように親しみを込めて「守さん」と呼ぶようになっていったようだ。来栖は相手に合わせ、自分の気持ちも納得させようとして、原因と結果の道筋をつけていったに違いない。ところが、このような心理が働いたということに矛盾を感じ取る気持ちも残っていた。
これではまるで無防備に相手の思惑に自ら合わせていったようなものではないか。呼びかけの形式に始まっての一連の守への対応に、自分でも卑屈な迎合の気持ちをはっきりと感じとっていた。