音楽家が抱く人生の悲しみや憂い
人生の折り返し点といわれる四〇歳を過ぎ、来栖は過ぎ去った頃のことを振り返ることがさらに多くなってきた。
若い頃には嫌っていたのに、近親者の写真を時折ながめるようなこともある。彼は元来写真を撮られることを嫌がる子供だった。
近親の者からもそのように受けとめられてきたのか、家族と一緒に写っている写真も、学校の友達と一緒に写っているといった類の写真も殆ど見当たらない。
残っているのは学校で始業式や終業式、或いは遠足や卒業旅行で撮られた記念写真ぐらいで、これらの集合写真の中では一応写ってはいる。
いい年になったといえる現在、昔の出来事を思い出したりする時には、確かに自身の姿が被写体となるような局面をなるべく避けるとか、そのような状況を逃れるように振る舞っていたことを思い出してしまう。
嫌がる理由としてわかるのは、時はどんどん変わっていくのに、写真という形で自身の顔が静的に固定され、それがそのまま残ってしまうから、何か漠然とした不安な気持ちになってしまうということだ。
他者にとっても、そして現在の自分にとっても、かつての写真上の自己が年月を経た後どのように受けとめられるかということを想像すると、他者の思惑にどうしても耐えられない。
おまけにそれぞれの写真では微妙に顔つきを変えながら写っている。それが来栖には観る人を意識しての、自己の擬態のように映る。
彼自身にも信じがたいことだが、子供の頃に既にそのように受けとめられることを恐れていたのだろう。さらには、そのような自分という人間がちっぽけな写真紙の上で死後も観られ続けると、どうしても想像してしまう。
撮る側、撮られる側に関係なく来栖は嫌だと思う自己の心理を何とか跡づけようとする。どのように受けとめられるのかがわからないからこそ不安になり、自身に不都合と思えることばかりを想像してしまう。
合理的な思考での理由づけができない。
あれだけ動き回って言うこと為すこと、生の躍動感に溢れていた人間でも、ひとたび額縁にはめ込まれてしまうと、このように穏やかに静かなたたずまいの人になってしまうのか。
そこでははっきりと「死者の肖像」として静的に固定されてしまっている。
このような思いで写真を見ると、撮られている人間の顔や全身像を死そのもののイメージと結びつけてしまっている。生きていた者の姿やたたずまいが、すべて「死者の肖像」として迫ってくると受け止めてしまうこともある。
この連想が一種の固定観念として年を経るにしたがってますますつきまとってくる。逆に肖像として収められた者がこの世ではすでに亡くなっているのに、そのまま生き続けているような錯覚を与えるからこそ、写っている者をなるべくならば見たくないということもある。
「何が何でも嫌だ」という感覚には元々論理的な合理性など通用しないものだ。停滞とか、固定、確定といった概念が提示するイメージに対して、どうあっても拒否したい気持ちがわいてきて、嫌悪感を抱くところにまでいきつく。