山の実力はそれぞれ

私は唐松山荘の玄関で、宿泊受付を済ませてなかに入った。持参の弁当と山荘で買った缶ビールで、昼食。福島の人は向こうで持参の握り飯を食べている。二重ガラスの窓の間にある温度計は13度だ。

昼食後、唐松岳の頂上をまずは踏んでおこうと思って出かけてみた。2696メートルの頂上まで、わずか15分の距離だった。しかし、霧が濃くて視界はゼロ。証拠写真にとケルンの上にカメラを置いて、セルフタイマーで自分を写す。

山荘に戻って一眠りしたころ、ガラス窓から陽が差し込み、眩しくて目を覚ます。霧が晴れてきたようだ。また山荘の外に出てみた。すぐ南に五竜岳が重量感を見せて姿を現していた!

いつの間にか福島の人が隣に立っていた。

「雨上がりなので五竜が特別はっきり見えますね」

霧が風に飛ばされていく。

「鹿島槍までは、まだ見えませんね」

福島の人は山に詳しいようだ。

「ここまで来て残念ですが……」

と言う。その後、彼は南方の五竜、鹿島槍とは反対の白馬岳方面に向かった。唐松岳の頂上は通過点に過ぎないようだ。唐松岳から白馬岳に向かうコースは、出発するとすぐのあたりが有名な難所らしい。私は家を出る前に調べてきた。

上の樺を出て大雪田を登る。

この難所を「不帰(かえらず)キレット」と呼び、ほぼ垂直な崖を鎖で下りていく。浮石もあり特に雨が降ると岩が滑りやすく、転落死亡事故も頻繁にあるようだ。「行ったきり帰ってこない」とは、名前から良くない。

初心者の私は唐松岳がすべてだ。山の実力はそれぞれ違う。私は自分に合った登山を楽しめばいいと思った。家には家族もいるし、学校には担当している生徒もいる。

翌日は梅雨間の快晴になった。やはり出かけてきて良かった。唐松山荘を出発。八方尾根が下のほうまでよく見える。昨日は濃霧で周辺がほとんど見えなかったが、快晴の今日歩くと、高い崖の下まで見えて怖いようなところもあった。濃霧は危険な風景を隠してくれるので、高所恐怖症を助けてくれることを知った。

私は登って来た同じ道をそのまま八方池へと向かった。八方山から見える不帰キレット。文字どおりピークが一つの一峰、間を空けて二つのピークがある二峰、三つのピークを持つ三峰が、ハッキリと綺麗に姿を現している。

左には丸みを持った重量感のある五竜岳。その左に巨大なふたこぶラクダのような鹿島槍。

あの二つの山は、きっといつか実力をつけてから登ってみようと心に誓いながら、八方池山荘へと歩き続けた。

〈追記〉5年後の8月10日に51歳で鹿島槍ヶ岳に登った。11年後の7月30日に57歳で五竜岳に登頂した。(また今度と心に誓っても、簡単ではないことも知った)