復元された東京駅駅舎

パリやロンドンでは、町の古い部分はそのまま残して、別の場所に新しい街区を造ります。またドレスデンのように戦争で破壊された都市を原型に復元します。石造の建造物で成り立っているヨーロッパの都市は構造的に変化しにくいこともありますが、それだけではなく、ヨーロッパ人は歴史への愛着が強いからでしょう。

しかし、日本では、明治以降、東京の市街地では、常に新しい建物が生まれ、その新しくしたものも古くなったとなれば、更に新しいものに取って代えられることが繰り返されてきました。

自然災害が激しいことと、木造建築であったことが過去に拘らない習慣を身に付けたせいかも知れません。今もあちこちで古いビルを取り壊して超高層化する工事が進行していますが、東京駅の丸ノ内駅舎は、取り壊して新しく建て替えられることなく、平成二十四(2012)年建設当時の低層階のレンガ造りに復元されて元の姿になりました。

復元されたのは戦災で焼失した三階部分と二つのドーム部分です。明治政府は、産業革命のシンボルの旅客鉄道をいち早く新橋横浜間に敷設しましたが、東京駅はその始発駅ですから、これも西洋式の建物にすべく駅舎を西洋建築を学んだ辰野金吾に設計させたのです。

当時日本では駅舎という長大な建築物をレンガ造りで建てるのは初めてでしたので、アムステルダム中央駅をモデルにしたとのことです。

アールヌーボ調の建築とも言われますが、基礎工事には大量の木材を地中に敷き詰め、長い建物本体にアクセントをつけるため、二つのドーム付き改札塔を建て、躯体表面には間隔を置いて経壁を着けるなど、丸の内駅舎には独特の工夫が施されています。完成したのは大正三(1914)年でした。

東京駅丸ノ内改札を出て、東京駅前の広場に立って見回すと、周囲は出来たての真新しい超高層ビルが背伸びして突っ立って、東京駅駅舎を見下しているかのようですが、丸ノ内駅舎は長大な渋い褐色の躯体を横にして悠然と寝ているかのように見えて、歴史的建築物の貫禄を感じさせます。