「飛び込んだら許してくれますか」─若き日の短慮暴発─
岸壁では医局長やホステスらが大騒ぎしていた。
やがてパトカーがきてロープが降ろされ、引き上げられた。そういういきさつから、論文で評価されるよりも突飛なことをする男として知られるようになり結果として一目おかれるようになったのだった。
泥水の臭う服のまま出張から帰った日、すやすや寝入る長男坊をすぐさま抱きかかえ、
「アホな事してごめんな」
と内心つぶやいた。川から救出された際、ふと思い浮かんだ事がもう一つあった。昔見た藤田進主演の柔道映画「姿三四郎」だ。
柔道の師匠の叱責に反発して、真冬の庭の池に飛び込み、杭にしがみつきながら何時間も粘って意地を張った三四郎が、池の淵で月光を浴びて咲く一輪の白い花に感動し、我に返るシーンだ。私の場合、脳裏をかすめたのは、わが子に対する申し訳なさだった。
思い出の中の、私の寅さん
今から五十年ほど前、私が北大病院小児科の新米医師であった頃、小児心臓病の専門外来に首にタオルを巻き、ニッカポッカのズボンをはいた父親が心臓病の赤ちゃんを抱いて診察室に現れた。
後ろから幼児二人を連れて母親がついてきた。話を聞くと、父親は炭坑夫、遠隔の炭坑町で生まれた三女が先天性の心臓病と言われ、家族総出で受診したのだという。
カルテを見ると、姓は勘(かん)、患児の名前は忍(しのぶ)とある。診察を進めるうちに父親とこんなやりとりをした。
「勘さんという名前はユニークでいいのですが、お嬢ちゃんは堪忍(かんにん)ちゃんと呼ばれるそうですね……」
「ハイ、事情があって忍の名にしました……」
二度目の受診の際、話の弾みから忍という名前の由来について聞くことができた。勘さんは二年もの間、出稼ぎに行き家を空けた。二年ぶりに帰ってみると、奥さんが生まれて間もない赤ちゃんを抱いていた。
問い詰めると、知的障害を有する妻はしどろもどろに「あんたの子……」と答えた。それじゃ月数が合わぬと責め立てたら、彼女はあっさり白状した。
下手人は隣家の居候だった。頭にきた勘さんは隣家に上がり込み、居候の首根っこをつかみ、ビンタを数発食らわした。居候はその夜、行方をくらました。
ことの成り行き上、子育てを担う羽目になった勘さんだが、赤ちゃんの顔を見るたびに居候の顔がちらつきしゃくにさわった。とはいえ、生まれた赤ん坊に罪はない。しかも生まれながらの心臓病を持っていた。
そのまま放っておいちゃ育ての親としての面目がたたぬと考え、わざわざ大学病院までやってきたのだった。
「でも、コイツはねー」
とそばにいる妻を見やりながら、
「少々頭はにぶいし、隣の野郎に言いくるめられていたようだし、わしに見放されちゃ、帰る里だってない。それに出稼ぎに行っている間、上の子たちを何とか育ててくれた。そんなことで、今度の事は『忍』の一字でこらえることにしました……」