幼少期(1982年~1995年):両親の離婚

妹はまだ小さかったので、母と一緒に暮らすのがいいという判断になり、私は弟、妹とともに母についていくことになった。離婚が決まったとなればこっちにも準備がある。

私は若松区の小学校に通っていたが、隣町の戸畑小学校に転校が決まり、仲の良かった友達に年末に引っ越すことを伝えると、登校最終日にプレゼントや応援の言葉をもらい、ほっこり、温かい気持ちで帰宅した。

ところが帰宅後、引っ越しは年末にするけど転校は3月にしよう、と母が言い出した。頭が真っ白になった。生まれて一度も駄々をこねたことはなかったが、初めて母に懇願した。もう友達にお別れを言ったから学校には行けない、考え直してほしい、と。何度も何度もお願いしたが、私の願いが通ることはなかった。

冬休みを悶々とした気持ちで過ごし、年明け、複雑な気持ちで今まで通っていた小学校に登校した。教室に入るとすぐ、プレゼントをくれた友達が言った。「転校するんやなかったん! だましたね!」私の心は声を失った。

戸畑区にある母の実家には祖父と祖母、叔父が住んでおり、離婚後はその向かいのマンションに引っ越し、転校までの3ヶ月間は、若松区の小学校までポンポン船(若松区と戸畑区を往復する渡船で若戸大橋の下を通る)とバスで1時間ほどかけて毎日通った。始めは祖父と一緒に、慣れてくると1人で。ポンポン船ではいつも後方のデッキに乗った。

船の近くでボコボコと音を立てて暴れる大きな泡は遠ざかっていくにつれて小さくなり、そして海の中に消えていく。それを見ているとどこか切ない気持ちになる。それでも目を離すことが許されない気がして、それをずっと眺めていた。ふと上を見上げると若戸大橋の真下。上を通っている人たちがはるか遠くの世界に住む人たちのように感じた。

私は学校生活を楽しめるわけもなく、それまで明るく、活発だったのが嘘のように、存在感を薄くして日々を過ごした。