鱚天ぷら
大将は厨房の奥へ天ぷらを揚げに行ってしまった。俺を一人にしないでくれよー。
こういうときに限ってバイトの美紀はお休みだ。俺は覚悟を決めた。
「月子さん。つかぬことをお伺いしますが、どんな男性とキスをしていたと言われたんですか?」
「影山さん」
「影山さんって?」
「この辺りの土地をたくさん持っているお金持ちのおじいちゃんなの。奥さんがね、長く入院されていて、毎日看病に通われているんだけどたまには気晴らしにって昭和歌謡を歌いに月に二、三回来てくれるの。
それで、この間お店に来てくれた時、シャツのボタンがとれそうで、ほら、奥さんが入院しているでしょ、だから胸元のボタンを着たままで付けてあげていたら、ちょうど入ってきた同業のママに見られて
私と影山さんがキスしてた、入院中の奥さんの後釜を狙っているって言いふらされてもう最悪なの」
なるほど。そういうことだったのか。
「おまちどおさま。天ぷらです」
鱚の天ぷらとは言わない。言えないよな。
「塩にします? 天つゆで?」
「……」
「両方お持ちしますね」
かつおにしろ、鰻にしろ、俺の女房よりも痒いところに手が届く大将だ。まずは塩で一口。熱っ。美味っ。衣はサクサクで身はふわりと軽い。なんて優しい味なんだ。癖がなくていくらでも食べられる。そこにぬる燗を一口。
衣の油が流れていく。子どもの頃、親父に連れていってもらったな~。浜名湖の鱚釣り。こんな立派なものは釣れなかったけれどいい思い出だ。
さあ、もう一切れ。
今度は天つゆで食べてみよう。塩もいいが、たんぱくな白身にたっぷりの大根おろしを入れた天つゆもこれまた美味い。
サクッフワッ。それに天つゆのジュワ~。
夢中になって食べていたら……ヤバい、月子さんのことを忘れていた。
横を見ると恨めしそうな顔で俺を見ている。