リハビリ 〈2か月目〉

入院生活が始まって一か月が過ぎ、リハビリを含め、自分でできることを病院スタッフにお世話になりながら頑張っていた。しかし、洗濯物は母に頼らざるを得なかった。入院されている患者の多くは、ご家族(患者の子どもさんなど)が着替えの洗濯をされ、持って来られていた。

私は、高齢で足の痛みを抱えた母に頼るしかない状況に、申し訳ない気持ちと何とかしたい気持ちでいた。アレルギー体質の私は、下着はもちろんだが一度着た服(上着など)も洗濯しないと、肌に(かゆ)みを起こす。そういうこともあり、母は一日おきに病院まで洗濯物を取りに来て、洗濯した着替えを持って来てくれた。

寒い冬に病院までタクシーで来て、重い着替えの袋を、息を切らせながら持って来てくれる。私は、母が来る時間に合わせ、エレベーターの前で待った。母が来たら、着替えの袋を車椅子に乗ったまま膝上に置き、病室まで上がった。母は杖を突きながら歩いて来て、私の病室のベッドに腰かけ少し休み、息を整える。

母は口数が多い方ではなく、また病院という場所があまり好きではなく、私の様子を確認して洗濯物を持って帰る。そして一階ロビーでタクシーを呼ぶ。

「ありがとう。気を付けて」と言うと、

「うん、もういいよ」と母は言った。

しかし、母がタクシーに乗り出発するのを確認して、私は車椅子で病室に戻った。年老いた母に負担をかけている自分が情けなく思えた。

『母も限界だろう。タクシー代も負担になる。何とかしなければ……』

そんなことを考えながら、車椅子で病院内の洗濯ルームに行ってみた。その時に驚きの光景を目にした。会話をしたことはないが、同じ階に入院されていた車椅子の女性が、一人で洗濯をしていた。咄嗟に、目を合わせたらいけないと思い、遠目に見させてもらった。

『車椅子で、ご自分で洗濯されている。私もできるかも』

この思いをすぐに、病院スタッフに打ち明けた。

「あの、私はまだ車椅子ですが、母もつらそうなので自分で洗濯しようと思うのですが、どうでしょうか?」

「なるほど。担当作業療法士と相談しましょう」

そして、担当作業療法士が、私が安全に洗濯ルームに行くことができるかを見てくださった。洗濯物は膝上に乗せ移動、洗濯機前で車椅子にブレーキをきちんとかけ、左手でお金を入れ、洗濯物と洗剤を入れる、一連の動作ができるかを確認してくださった。

「宮武さん、何とか大丈夫そうですね」

と言ってくれたので、私は、

「ありがとうございます。もう、自分で洗濯します。母にも病院に来てもらわなくていいので」と言った。

次の日、母に電話をした。

「あ、お母さん? 洗濯ね、もう自分でするから」

「え? 大丈夫なの?」

「うん、昨日同じ階の車椅子の患者さんも洗濯していてね。私もできると思って。病院の人からも大丈夫って言われたし。だから、もう来なくていいよ。寒いし、タクシー代も勿体ないしさ」と言うと、

「そう? じゃあ、そうするわ。洗濯代もかかるけど小銭あるの?」と母は言った。

「ああ、大丈夫」と答え、電話を切った。

母親はいくつになっても母親なんだなぁと思い、そんなことを言わせる自分が恥ずかしくなった。

リハビリに加えて洗濯という活動が増え、入院生活は忙しくなった。

リハビリの空き時間に洗濯機が空いているとは限らない。何だかんだで夕食後、就寝前ギリギリの時間で洗濯ルームに行く日もあった。そういう日は、就寝時間過ぎに、暗がりの中ベッドの上で洗濯物をたたんだ。