ここはいったい、どこなのだろう

 

家に帰ったぼくは、晩ごはんをお腹いっぱい食べても熱いお風呂にざぶんと浸かっても、気分が全然晴れなかった。布団に包まると、なんだかしくしく泣けてくる。

考えていたのは、敬ちゃんのこと。なんでいつも敬ちゃんばかり得するんだ。あいつなんか嫌いだ。あんな奴、いなくなればいいのに。ぼくはこのときはじめて、だれかを憎むという感情を知ったんだ。

翌日、ぼくは通学路の草むらに道具を隠し、最後の授業の鐘が鳴ると、ひとりでに学校を飛び出した。ぼくに声を掛けようとした敬ちゃんは無視した。

昨日とは反対側の田んぼでザリガニを捕まえて自慢するつもりだった。ぼくのやり方じゃなくて、場所が悪かったんだよって。だけどぼくは、なんどやっても、ザリガニを捕まえることができなかった。どうやってもぼくの網の側をすり抜けていくんだ。

なんで、なんで上手くいかないんだよ。そのうちに汗びっしょりになり、頭がかっかしてきた。歯がゆくて悔しくて、体が揺れるくらいに激しく網を動かした。

そのときだ。背負っていたランドセルの鍵が外れ、筆箱や教科書がばしゃんと大きな音を立てながら溝に落ちた。

跳ねた泥(どろ)が眼を直撃する。鼻が曲がるほどのドブの匂い。そこでぼくのなかでふくらんでいたなにかが、パンとはじけた。まるで運動会の「ようい、ドン」のピストルみたいに、それが合図になった。

ぼくはいちばん近くにあった泥だらけの教科書を掴み、手当たり次第に引き裂いた。紙切れになった断片は、蝶々(ちょうちょう)のようにひらひら舞って散らばっていく。

するとぼくの両眼から、どんどんどんどん涙が溢れた。身体の水分という水分を出しつくしてからからのミイラになったぼくは、その場にぺたんとへたり込んだ。怖くて身体がひとりでにふるえている。

どうしよう、なんてバカなことをしたんだろう。おかあさんにこっぴどく怒られる。先生にはなんて説明しよう。ぼくは憎き敬ちゃんの、前歯の欠けた不細工(ぶさいく)な笑顔を思い出した。靴の先にあった紙切れをぐしゃぐしゃに踏みつける。

そうだ、すべてあいつが悪いんだ。あいつなんかいなくなればいいのに。ぼくは敬ちゃんを心から呪った。そのとき耳元で悪魔が囁いて、思わずにやりとした。

すごくうまくいきそうな作戦だった。ぼくはランドセルの肩紐をぎゅっと握りしめ、一目散に学校へ駆けていく。真っ赤に染まっていた坂道に夜が迫る。急がないと。

まだ校門が開いているうちに、なんとか校舎に忍び込むことができた。息を切らして階段を登っていく。走りっぱなしでふくらはぎがぱんぱんだけれど、だれかに見つかったら台無しだから我慢した。渡り廊下の水道からはピチョンピチョンという水滴の音がして、ぼくを焦らせる。

そうして舞い戻った教室にはだれもおらず、掃除道具入れの隣にずらっと並ぶロッカーのまえに辿り着く。そこにはプリントや教科書がグチャグチャに押しこまれていた。

ない、ない、ない。どこにあるんだ。金庫を漁(あさ)る泥棒みたい。そんなことを思う暇もないくらい、手を無心に動かす。そしてお目当ての表紙を探し当てる。

これだ、やっと見つけた。暗闇に慣れた眼に映ったもの。それは国語の教科書だった。急いで教科書の一番前と一番後ろのページを確認する。名前はどこにも書かれていない。