働くことの意味と目的
アドラー心理学の基本的な考え方の一つである目的論(人間の行動には、目的がある)から入ります。
「働くとは」という質問からスタートしましょう。これは、働くことのWhatとWhyに関して自分の答えを持つことで、自分軸の大きな幹になります。
稲盛和夫氏(以下、稲盛氏と記します)は、著書『働き方』の中で”今多くの人が「働くこと」の根源的な意味を失い、「働くこと」そのものに、真正面から向き合っていないように思うのです。”と警鐘を鳴らしています。
具体的には、次の三つの問いかけになります。
●我々は、なぜ働くのであろうか(Why?)
●我々は、何のために働くのであろうか(For What?)
●働くとは、自分にとってどんな意味があるのか(What kind of Meaning?)
働くとは、傍(はた)を楽(らく)にすること働くという言葉自体が持つ意味から見てみましょう。
はたらくとは、「傍(はた)を楽(らく)にすることからはたらくと言う」と解釈できます。傍(はた)とは、周りの人や他者のことです。
給料は、会社からもらうわけではなく、傍を楽にしたご褒美として傍からいただくものです。また、働という漢字は、人と動に分かれます。人が動くことを表しています。
この二つの解釈をかけ合わせれば、働くとは、「人が動くことで、傍を楽にすること」です[図表1]。
このように定義すると、人が動くことは、仕事をすることだけではなく、生活を含めた広義に捉えることができます。人が動くということは、ビジネスの世界だけではないので、家事や介護も働くことになります。
働く目的は、十人十色でそれぞれ人によって違う考察の糸口として、喩え話をします。この話の原典は、イソップ寓話にある「レンガ職人」という話です。
ある町で大教会を建造中で、三人の石切職人が、教会の土台となる石を切っている作業現場がありました。その作業現場に通りすがりの旅人が、三人の石切職人に対して「あなたは、何をしているのですか」と尋ねました。三人の石切職人は、次のように答えました(三人の石切職人をAさんBさんCさんとします)。
Aさん「私が作った大教会で多くの人が祈り、それは人々の安らぎの場となる。それを夢みて石を切っているんだ」
Bさん「日本一の石切職人になるために石を切っているんだ」
Cさん「見ての通り、石を切っているんだ。お金を稼いでいるんだ」
石を切るという全く同じ仕事をしているのに、三人の答えは全く違うということが、この喩え話の肝心要なところです。働く目的は、人によって個々に違います。