逢坂(おうさか)山を越えて、京洛の入り口まで来たところで、光秀一行はさっそく食い詰め浪人風の武士と、荒法師の二人組の男に行く手をふさがれた。浪人風の武士は言った

「だいぶん懐が膨らんでいるではないか、少し関銭を置いて行ってもらおうか」

「これは、これから我が家族が生計を立てる重要な金だ、渡すわけにはゆかぬ」

「そんなことを言っていると、命がなくなるぞ、そして、奥方と娘はどこかに売り飛ばすことに成るが、それでも良いのか」

光秀も腕にはいくばくかの自信は有った、子供の頃から勤勉で、書物を読み漁り、剣術や武道にも励んで、明智一族の者からは一目置かれる存在だった。光秀は、相手の目の奥をじっと窺い、浪人武者の気脈を探った、なかなかの手練れであることは確かだったが、根はそんなに悪い人間ではなさそうで瞳の奥は澄んでいた。光秀は言った

「金は困るが、その代わりこの大刀で勘弁してくれ、小刀は武士である以上渡すことが出来ぬ」

光秀は腰から大刀を抜き取り(さや)のままで浪人武者に渡した。

武者は、鞘を払い大刀をしげしげと眺めていたが

「これは、関の名工の物ではないか、この様な物を帯刀しているお主は相当の者であると見た、分かった命は預けておく、その代わりお主が一国一城の主にでもなった時、我らの面倒を見ていただこう」

そう言って、鞘に納めた大刀を光秀に返した。

あっけにとられている光秀の傍らで荒法師は

「ハッハッハッ、左内なかなか良い先物取引をしたな、この俺も一口乗せてもらおう」

光秀は平身低頭して

「真にかたじけない、拙者美濃の浪人明智十兵衛光秀と申す者、先般我が一族は斎藤義龍に滅ぼされ、諸国流浪の途中でござる、この先どうなる事かは肯んじ得ないが、拙者御手前どものご期待に沿えるよう、粉骨砕身努力いたしましょう。して御手前方のお名前と御住居はいかに」

荒法師は

「朴念仁が、住居など有るわけがなかろう、いつも羅生門(らしょうもん)の近辺でうろうろしておるわ、儂の名前は荒法師覚栄、こやつは元今川家の剣術指南役原田左内と申す者じゃ、我らに用ある時は、この辺に来て、浮浪者どもに聞けばすぐ分かる」

物陰で震えながら様子を見ていた妻の煕子と娘倫、中間の茂作もほっとした顔で二人に向かって会釈していた。

その夜は粟田口の安宿に旅装を解いた。