東京の大家さん
「ねぇ、橋岡さん。ボケないようにするにはどうすればいいかしら?」
私の住む国分寺にあるアパートの大家さんは、家賃の領収書にサインをしながら笑みを浮かべてそう言った。印鑑を押す場所を間違えたのだ。照れ臭そうに笑っている。大家さんの家は私が住むアパートの真向かいにある大きな一軒家で、ご主人が何年か前に亡くなり一人でアパート経営を続けている。
アパートの前の道路を挟んでイチョウの木が十本程植えてある駐車場には約八台の車が停めてあり、ジムニーは一番端の倉庫の裏に置いてある。玄関からジムニーの姿が見えるようにと、倉庫からわざと少し後ろ半分がはみ出すような形で停めてあるので、私はいつもジムニーにただいまを言ってから部屋に入る。
その駐車場の裏が大家さんの家だ。毎月家賃は直接手渡しということになっている。銀行振り込みという方法を敢えて取らないのは、月に一度でも住人と顔を合わせる方が安心するからだろう。およそ六LDKはあると思われる大きな一軒家に一人で暮らす寂しさは計り知れない。
一階の居間と個室のみで生活をし、二階はガラ空きもしくは物置となっているのだろう。二階に灯りが付いているのを見たことがない。年齢はおそらく七十歳前後で、小柄で、顔立ちは整った可愛いおばあちゃん。
最近わけのわからない吹き出物が沢山できてしまったらしく、顔中に白いクリームを塗っていた。掻き毟った跡が明らかにわかり、おでこから頬にかけて散らばる吹き出物からは血が滲んでいた。
「ボケ防止にはパソコンが良いと思いますよ。頭も指も使うから」
「それがね、歳だからくたびれちゃってね、私は弱虫だからすぐ風邪を引いて、最近あまりやっていないのよ」
家賃を払いに行った時である。
「橋岡さん、パソコンのことわかる? なんだかね、私のパソコン壊れちゃったのよ、見てもらえないかしら? こないだも調子がおかしくなって電気屋さんへ持って行ったんだけど、それから一週間しか経ってないからね、恥ずかしいじゃない。またあのおばさんこんな下らないことでわざわざ持ってきたと思われるじゃない。ちょっと見てくれないかしら。橋岡さんが見てもわからなかったら、恥ずかしいけれどまた電気屋さんへ持って行くわよ」
「私もそんなに詳しくないけれど、見てみましょうか」