東京
スーツケース
あと三カ月でこの職場が終わってしまうと考えるとゾッとする。私が働いているのは競艇場。競艇場で働くことにしたきっかけは藤井フミヤ氏の影響だ。
藤井フミヤ氏がデビュー前に、警備会社でバイトをしていたとインタビューで言っているのをテレビで観たからだ。シナリオ的にアリだと思った。そう思って警備会社に電話してみたところ、競艇場に配属されたというわけだ。
給料は安いが居心地が良くて、しばらくこの場所にいたいと思っていた。最低限度の生活でいい。そう決めて今の職場にいるが、それなりの生活はできている。
欲しいものこそ買えないが、酒も飲めるし煙草も吸える。はっきり言って、生活自体にはそれほど高望みはしていなかった。
無ければ無いなりに生活することができる。それが私のスタイルだった。
古着屋で激安物を探したり、自炊したり、古本屋へ行ったり、中古CD屋へ行ったり。そんな生活が私にとっては当たり前だった。
給料が十万円高いからといって、他の仕事をしたとする。しかし、ストレスが溜まりその十万円はボロボロになった肌や身体のケア代に消えて行くだろう。結局私はこの程度の生活ができれば十分なのだ。
贅沢はできないけれども本を読み、酒でも飲みながら文章を書くことができる。時折、痛烈な寂しさに襲われて自分を見失うことはある。けれども、それほど高望みはしていなかった。
所持金二万円で仕事も家も無い状態から始まった東京での生活。ちょうど一年前、私は会社勤めを辞めて上京した。精神の限界だった。
買ったものは、ターコイズ色のスーツケース。それさえあればどこへだって行ける。無敵だと思っていた。今でも、尚、そう思っている。