好きなもの達

チリ産のワインはたまたま買ったものだが、なかなか美味しかった。冷蔵庫の余り物をご飯に乗せてどんぶりを作ったが、なかなか美味しかった。

結局、人間の出会いも恋愛もそんなものなのではないだろうか。たまたま出会ったものが、案外良かったりする。

こんなことがあった。知人に私の大好きなドアーズのベスト盤を貸したが一向に返してくれなかった。しかし、返して欲しいと電話をかけるのもメールをするのも嫌だった。

相手からの連絡を待ったが、かかって来るはずはない。何故なら、私はとっくに裏切られていたからだ。人の話を鵜呑みにしてはいけないと、この時ばかりは改めてそう思った。

そんな奴に私のドアーズのCDを自分の物のように扱われることが耐えられないのである。じゃあ、電話して返してもらえばいいのに、接触することすら嫌だった。

しかし、本当に大切なものならば、嫌な想いをするのは覚悟の上でなにがなんでも返してもらおうとするのではないだろうか。そう考えると、若干強気で私の方から連絡することができた。

私にとって、本や音楽も含め、好きなもの達は宝である。ジムニー、フレックルスというぬいぐるみ。他にも好きなもの達はたくさんあるが、私は子供の頃から流行を追うということが大嫌いだった。

しかし、流行りものを身に付けていなければ苛められる時代があった。だから、雑誌を見ては流行りものを買い、皆に後れを取らないように必死だった。

仲間外れにされるのが怖かった。ただそれだけ。だけど流行なんかに左右されることなく、好きなもの達だけに囲まれた世界をずっと夢見ていた。

今の私の生活は、好きなもの達しか周りにいない。だからこそ、私の楽園の一部であるドアーズのベスト盤を返して欲しかったのだ。

※本記事は、2020年12月刊行の書籍『破壊から再生へ』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。