文学史では、独歩は、二葉亭四迷の翻訳によって日本に紹介されたツルゲーネフの「あいびき」の自然観察を媒介にして武蔵野の美を発見したとされています。
改めて「武蔵野」を読み返すと、新しい自然観察の視点を得て、今まで文学の題材とはならなかった武蔵野の景観に、新しい美を発見し、それを文章で描写できるということに興奮し、夢中になっている独歩の熱を私は感じます。
「武蔵野」以前の日本にも自然描写はたくさんありましたが、そこでの自然描写は自然の描写を目的にはしていませんでした。自然は、ススキ原や萩の花などの記号に分解され、内面または状況を描写するためのオブジェクトとして操作されてきたと言えるのではないでしょうか。
自然はルールに沿ったイメージ操作の材料だったのです。そうしたルール化の極端な例の1つが歌道の世界の古今伝授です。
古今和歌集の秘伝と言われる「三木三鳥」、(川菜草、めどに削り花、招霊の木、稲負鳥、百千鳥、呼子鳥)については筆記してはならないとされました。
秘伝を伝えられた者以外は知らない木と鳥の名前が、歌道の伝統において力を持つという状況は、富士や梅、紅葉や松が記号として扱われる自然描写が、現実の自然とは無関係の世界で成立し得たということではないでしょうか。
そして共有するルールに乗らない動植物や未知の景観は描かれません。
話はそれますが、自然環境保護の象徴とされるオオタカについて、三木三鳥の1つであるかのように扱われていると感じられる時があります。
さて、ナラやケヤキの疎林と民家からなる里山の風景の美しさ、その合間に出会う農民の佇まい、ふとした微気候の変化などの美しさは、国木田独歩による19世紀ロシア文学を媒介とした「風景の発見」以前に日本人には見えていませんでした。
正確には、見えてはいたかもしれませんが、心に留まることはありませんでした。
私たちが見る「自然」は130年の歴史しかありません。ということは、未発見の風景がまだまだ残されていると考えるべきなのです。